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2025/04/07 20:33 |
「交換日記」
森山’s Honey  Bucket  56
 
  CY先生のブログを拝見しながら、ふとなつかしく思い出したことがある。
 
 
 
 息子が幼稚園に通い始めるまでは、一緒に過ごす時間がたくさんあった。
 
 午後2時からの出勤だったおかげで、乳母車や自転車に息子を乗せ、あるいは息子が足こぎする三輪車やデラックスな外車(四輪駆動車)の横に付き添い、ときには僕運転のマイカー・カローラに乗って、二人でいろいろなところに出かけた。
 
 息子は小さい小さいときから鉄道が好きだった。
鳥飼の新幹線基地・東花園の近鉄電車の車庫・長瀬駅付近の踏み切り、
いずれも嬉々として目を輝かせた。
 
 
 そんな息子が幼稚園に通い始め、次いで小学校に上がるようになると、
全くと言って良いほど二人で過ごす時間がなくなった。
 
 当時僕が帰宅するのは今よりずっとずっと遅い時刻。
 息子が僕に「行ってきます。」を告げに来る時間帯は、ようやく僕が寝床から這い出す時間帯でもあった。
 
 息子が戻る時刻には僕は既に家にはおらず、
僕が帰宅する時刻には息子は深い眠りのさ中だった。
 
 日曜・祝日も休めないことの連続。
 
 
 子どもとすれ違ってばかりの生活に悩んだ僕に妙案が閃いた。
 
 それは息子と毎日「交換日記」をすることだった。
 
 小学生になったばかりの息子との交換日記。ノートは確か8ます。
一文字一文字丁寧に正しく書くことに気をつけていた。
 内容は、息子に小学校での生活ぶりを尋ねるもの・季節の草花や虫についてのこと・元気に育ってほしいと願う気持ち・クイズ問題・お父さんの仕事について…などなど、
いろいろなメッセージを「息子に届け」と日記に託した。
 
 会えない分、話せない分、毎日2ページも3ページもメッセージを綴っていた。
母親の大いなる応援もあって、息子も一所懸命にそのキャッチボールに参加してくれた。
夜中に日記帳を見るのが楽しみだった。
 ノートも8ますから10ます16ますとます目が増え、
日記帳の冊数も随分たくさんになっていった。
 
 息子が小3に上がる年の春、ヒゲ先生から上本町校の鍵を授けられた。
 「ここは君がやりたまえ。」と。
 そして息子は上本町校開校初年度の小3生として登校できることとなった。
 週に2日の上本町校と2ヶ月に1度の実験学校では、
 生徒と先生の間柄で、日中に顔を合わせることができ、会話できるようになった。
 
 
 交換日記はたしか息子が4年生になるまでに終わってしまった。
 
 
 今、日記帳は段ボール箱の中で重なって、押入れの奥に追いやられている。
 
 しかし、当時の僕と息子の気持ちをいっぱい詰め込んだ日記帳は、
 僕の老後の素敵な宝物になるはずである。
 
 
 追記
 現在、決して優秀でも器用でも無い彼だけれど…
 健康でかつ性格の良いやさしい青年になってくれたことに、たくさんの感謝をしている。
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2010/12/02 01:00 | Comments(0) | TrackBack() | 森山's Honey Bucket

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