上本町校に通ってくれた人は誰もが目にしたことがあるだろうこの書。
46期生の中嶋君が小学校4年の国語の授業中にしたためたものだ。
教室にあったゴミ箱を擬人化したものらしいが、かもし出す温かさと、どこか芸術性すら漂わせる筆使いゆえ、額縁に納められ、長く教室の壁に定位置を占めるようになった。指を折ればざっと14年間そこに居ることになる。以来教室のゴミ箱には名前が与えられることになった。
中嶋君は小学2年生から中学3年生までの8年間を遠く阿倍野から通学してくれた。ニックネームはナカジ。小柄だがファイトと茶目っ気満点。ヤンチャなところもあるが、たいへん成績の優秀な子だった。中学高校とバスケットボール部に所属した彼について、「主力メンバーとしてまた副キャプテンとして、朝誰よりも早く体育館に来て、熱心に練習に励むヤツだ。」と仲間たちは言っていた。
そんな彼が大学生になり、実験学校の付き添い役として、また教室で後輩たちの世話をしてくれる助手の先生として、再び学園に戻ってきてくれた。5年前のことだった。
今やスタッフ仲間である彼を褒めるのは、身内を自画自賛するようでいささか気恥ずかしくもあるのだが、とにかく素晴らしい先生だった。
彼はいつも子どもたちの間近にあった。実験学校の小1・2生から高校入試前の中3生に至るまで、どの学年のどの子たちにも積極的に関わり、絶えず声をかけ、いっしょに汗をかいてきてくれた。友だちのようにしゃべるが、叱るべきときはピッチと叱ってくれた。
授業後に交わす彼との会話では、「○○さん最近~なことで悩んでいるようです。」「□□君この頃~ができるようになったって喜んでいますね。」「△△君将来~になりたいって熱く語ってました。」「◎◎君には勉強中の集中力の無さが気になったので~な話をしておきました。」などなど、決まってふんだんに子どもたちの名前と情報そして子どもたちへの期待が盛り込まれていた。
まさにヒゲ先生が言っておられた「一つ年上の兄であり姉であれ。」の言葉通りの先生だった気がする。
助手のリーダーとしても後輩スタッフから厚い信頼を寄せられていた。
サップ君も・慶君も・小野っちもみんなナカジを慕い、いろいろな相談をしていたようだ。
この春、彼は学園を卒業する。社会人として羽ばたくための二度目の卒業である。
保育士さんとして、大勢の小さな子たちに囲まれる日々が待っている。
「今から、楽しみで楽しみでしかたありません。」彼は目を輝かせてそう言っていた。
「星くずの村」や上本町教室で彼の顔を見られなくなるのは寂しい。
しかし、ナカジ先生は「天職」を得られたのだ。
頑張ってね!ナカジ。
頑張ってね!ナカジ。
いつまでも素敵な先生でいてください。
そして、いままでありがとう。 たまに顔出してや!
PR
トラックバック
トラックバックURL: