森山’s Honey Bucket 94
今の僕の体型からは想像すらできない話だが、
小・中・高時代の僕は痩せギスだった。
もとよりチビだったので、やせっぽちの超チビ少年だった。
痩せギスの理由(これまた今の自分でも不思議だが)は、
「食すること」に一切関心がなく、むしろ「食」の時間が苦痛だったことだ。
母の作るカレーライスとオムライス…
そしてネギの入っていないきつねうどん、と、もう一つ…
が数少ない好物だった。
お寿司も特に喜ばず、お肉に至っては心底毛嫌いしていた。
そのもう一つの好物こそが、「たこ焼き」であった。(もちろん今も大好物)
昨夜の夕飯が家内自慢の「たこ焼き」だったので、ふと昔のことを思い出した。
銭湯「梅之湯」の並び、「本六地蔵様」の隣に、
僕が毎日のように通ったたこ焼き屋さんがあった。
姉妹らしいおばあさん二人が店を切り盛りしていた。
ぼくはどちらかと言えば、表面だけでなく中身にも火が通って全体が
カリカリになった「売れ残り」的なたこ焼きが好みだった。
まあよく繁盛している店だったので、
お目当ての「カリカリ」が当たることはめったになかったのだが…
ある日、珍しくぼく以外のお客さんがいなかった。
おばあさんは、普通のたこ焼きをのせた木の舟皿の横に
偶然にも僕の大好物のカリカリたこ焼きを
2つだったか3つだったかおまけでつけてくれた。
(毎日のように店に通ってくるぼくを、健気に思ってくれたのだろうか?)
そしておばあさんは、人差し指を1本、結んだくちびるの前に出して合図をした。
ぼくにはその合図に、「内緒だよ。」という意味が込められていることをよく理解できず、
ただ嬉しくて満面の笑みでお礼を言った…(そんな記憶がある。)
それからも何度かおばあさんはくちびるに人差し指をあてながら、
2つまたは3つとおまけのたこ焼きをプレゼントしてくれた。
ぼくはますますそのたこ焼き屋さんが、そしておばあさんたちが、好きになっていった。
その日も、湯気の上がる舟皿を手に、店の奥の座席に向かうと、
そこには同級生の子がすでにたこ焼きを頬張っていた。
別の壁際に大人の人が2人程いた気がする。
ぼくは居合わせた友だちに、
ここのたこ焼き屋さんがいかに素敵で、
おばあさんたちが優しい人であるかを伝えたい一心で、
「このお店の人はとても親切なんだ。
いつもおまけのたこ焼きをプレゼントしてくれるんだ。」
と話しかけた。
おばあさんたちへの感謝を示したい気持ちもあったので、
友だちだけに聞こえるのではなく、
おばあさんたちの耳にも届くほどの声を出していたのだろう…
ぼくがそんなことを言い終わるか否かのタイミングで
おばあさんの一人がぼくのそばに駆け寄ってきた。
そして、
「そんなことを言うもんではない!これから二度とおまけなんかしないからね!!」
と、厳しく叱られた。
その日のたこ焼きがどんな味だったか、全く覚えていない…
受けた親切に対して、自分なりに精一杯感謝を示したはずのぼくの行動が
おばあさんたちをあせらせ、おこらせてしまうことになった理由
(あの場面ではそうせざるを得なかった大人の事情)を、
ぼくは、相当年が過ぎてやっと解釈できるようになった。
でも当時のぼくは、その日を境にその店には行けなくなってしまった。
店の前を横切ることもできなくなった。
深く傷ついたのだ。
ぼくは長じて子どもたちを相手にする職業を選択した。
今も日々、子どもたちの前に立ち、横に座り、
話もし、ときには叱りつけもする。
思えば、ずいぶん怖ろしい仕事だ。
自分の立場からは正しいと信じて発する言葉や行動が、
知らず知らずに子どもたちを深く傷つけることになってはいまいか…
ときおり卒業生から
「あの時はひどく叱られた。」とか
「あんなに叱られた記憶は他にない。」とか
「先生の勉棒が一番きつかった。」とか
暴露され、
「そうやったかなあ?ほんまか?それは悪かった悪かった…」などと
赤面することがある。
しかし、こういった素敵なチャンスが与えられることはむしろ稀なことだ。
それぞれの子たちの心の機微やその真意を、どの瞬間にも感じ取り、理解する。
それは絶望的に不可能だ。
だとすると、子どもの心を深く傷つけずに済む方法とは?
たくさんの人のたくさんの価値観に触れ、共感できる自分(大人)であること。
自分の心を穏やかに保ち、キツキツ・カツカツで子どもに接しないこと。
だます子どもを悪人に仕立てる前に、
「あっ、またやられた。」と自分で自分を笑ってしまう…という心の持ち主が理想だ。
そして、やっぱり原点は
「子ども大好き」
それだけか!
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