森山’s Honey Bucket 92
お盆休みに尊敬する恩師をお訪ねした。
年に一度だが、ゆっくりとお話をさせていただくたびに
仕事に関して身の引き締まる思いをしたり
生き方について、今一度考え直したり
とても大切な時間を刻ませていただく
今回もまさしくそのような機会を得た。
ヒゲ先生の古くからのご友人で、良きお話し相手でもあったその先生は
ヒゲ先生のことを「藤原先生」とか「ヒゲ先生」とか呼ばれるほか
親しみを込めて「あのヒゲさん」とよく呼ばれる。
「あの」に特別の感情がこもっているように僕には感じられる。
「あのヒゲさんを、木の机が並ぶかつての実験室にお訪ねした40年程以前、
壁の棚にはたくさんの顕微鏡が並べられていましてなあ…
僕が、『ところで藤原先生はどの顕微鏡を使われるのですか?』とお尋ねすると、
ヒゲさんは『生徒たちのと同じものですが?』と不思議そうにおっしゃる。
あの頃、学校の先生は生徒たちより上等で性能の優れた顕微鏡を使っていて、
子どもたちが『うまく見えません。』と言うと、
『じゃあ、先生のを見せてあげるからこちらに来なさい。』
というのが当たり前だった。
しかしヒゲさんは違っていた。全てにおいて子どもたちと同じものを区別なく使っておられた。
その上驚いたことに、その顕微鏡の1台1台がたいへん性能の優れた高価な代物ばかりだった。
安いものをたくさん買うことは出来ても、高価なものをたくさん揃えるのには覚悟が必要だ。
ヒゲさんはそれをちゃんと実行しておられた。
ヒゲさんはそれをちゃんと実行しておられた。
藤原先生曰く
『子どもにこそ本物を与えないと意味がない。子ども騙しでは通用しない。
本物を与えるからこそ、本物の《発見の喜び》を味わわせることができるんです。』とね…
この先生は他の方とは『違う』と強く感じました…。」と静かに話されました。
また師は、ご自分が小学校低学年に学校で受けた詩の授業について、
「教室で教科書を開き、初めてその詩を読んだときの感動や頭に思い浮かべた情景を、
今でもよく覚えている。」とその一節を暗唱されたあと、次のような話しを加えられました。
「藤原先生が、学校の教科書を使って塾の授業をしておられた頃、
『君は今学校で何ページを習っているのだね?』と子どもたち一人ひとりに確認された。
その質問に、ある子は『32ページ』別の子は『35ページ』とか『37ページ』とか答える。
全員に確かめた後で、『じゃあ30ページを開けなさい。』と、ヒゲさんは子どもたちに言ったそうだ。
皆が既に学校で習い終えた範囲をもう一度じっくり勉強し直そうというのだ。
塾というところは往々にして、「学校で35ページまで進んでいる。」と誰かが言ったら、
「じゃあ40ページから始めます。」というところが多い。少しでも先先を教えようとする。
保護者にもそれを求める意見が多いからだろう…。
しかしそうしてしまうと、子どもたちから大切なものを奪うことになる。
それは、「学校で初めて習ったとき、だけに得られる新鮮さや感銘、そこから生まれる意欲」のことだ。
もし先に塾で勉強させていたならば、子どもたちは
「ああ、それもう知ってる。」「もう塾でやった。」と言い出し、学校での勉強に身が入らないだろう…。
ヒゲさんはそんなことを憂慮されていた。
初めて出会ったことに向けられる「発見の喜び」や「好奇心」を、学校の子どもたちから奪うようなことがあっ
てはいけない。
てはいけない。
些細なことでも学校の先生と子どもたちとの信頼関係を損なうべきでない…
ヒゲさんは、子どもたちにとって『学校での学び』が何より大切だと考える塾人だった。
分をわきまえ、周りの人全てを大切にする先生だった。立派な方でしたな…
僕は人とお話しするときは決まって、『塾なんて要らない。』と言います。
ただし、たった一つだけ例外がある、と言ってヒゲさんのことを話すのです…。
効率的にものを教え込むことのみを良しとせず、むしろ無駄だと思われること、
遠回りだと思われることに一所懸命になっている「偉大な教育バカが居る…」と。
「あのヒゲさんの築いた『塾らしからぬ塾』を、後を引き継ぐあなた方にも大切にして欲しいものですなあ…」
師は、穏やかな表情の奥から、熱いエールをくださった。
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