芥川龍之介の短編に「杜子春」というお話があります。
中学1年生くらいのときにはじめて読んで以来、何度も読む機会に恵まれました。
10年程前まで学園が国語の読み物教材として使っていた「読書シート」にその短編は収められていました。ですので、小6生と共に毎年のように読んできたのです。
はじめに僕が子どもたちの前で音読をします、ささやかな決意を持って。
が、その決意は必ずといっていいほど挫折してしまいます。
決して泣かずに読み切ろう、かなりの意気込みで臨むのですが、途中から涙が止まらず声になりません。ヒクヒク泣きじゃくり、どうしようもなくなるありさまでした。
自分が仙人になるために、大仙人の鉄冠子との約束-決して声を出してはならない-を頑なに守ろうとする主人公杜子春。
地獄の閻魔大王が最後に選んだ作戦は、今は畜生道で馬に身を変えられている杜子春の両親に、あらゆる責め苦を与えるというものでした。
身体は馬だけれどその顔は確かに懐かしい父そして母。
その両親のからだは鬼たちの鞭で骨も砕かれ…。しかし必死に耐えて声を出さずにいる息子、杜子春。
そんな杜子春に、命がなくなる寸前の母がささやきかけます。
「心配おしでない。たとえ私たちがどうなろうとも、おまえさえ幸せになれるのなら、それより結構なことはないのだからね…。」と。
確かに母の声です。杜子春は鉄冠子との約束を忘れ、父母に転び寄り、「おかあさん」と叫ぶのです。
僕は杜子春そのものです。
そしてうちの母は、そして父は、紛れもなく杜子春の母と父です。
ぼくにもの心がついたときから父と母はすでに杜子春の父母でした。
僕には大切に思う息子と娘がいます。
しかし、僕はまだ杜子春の父に成れてはいません。
父母の命はあたりまえですが永遠ではありません。
自分もまたそうです。
いつになったら親孝行ができるのでしょう…
いつになったら良い父親に成長できるのでしょう…
頼りない49歳です。
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