森山’s Honey Bucket 80
「わからないこと」を、「わからない。」と正直にいうことは簡単なことではない。
まして、「どこがわからない」とか、
「ここまではわかったけれど、ここからわからなくなった」とか、
自分の置かれた状況を分析して人に伝えるのは至難の業だ。
知らない街で道に迷った人が、
ここまで通ってきた道を他人に説明したり、
回れ右して通ってきた道を逆にスタート位置まで戻ったり、
することができるだろうか?
目的地へ急ぐ人が迷いなく歩いているのを見ると、
「あの…僕、どう行けばいいかわからないんです。」とは言い出せない。
それが立ち往生した者の気持ちなのではないか?
テストを目前にして途方にくれる子たちのほとんどは、
どの辺で道に迷ったのかわからなくなった旅人のようだ。
それぞれに目的地へと向かおうとする責任感は持っている。
ときに、「応援してくれている家族のためにも、頑張らなくては。」と健気ですらある。
でも思うように道を探せない。目の前の問題に手が付けられないのだ。
そんな彼らに、僕たちが役立とうとすれば、
彼らの勇気を後押しして、「これ、わからんねん。」と尋ねやすい環境をつくること。
そして、一つの「質問」にじっくり付き合う姿勢を持つこと。
「僕の投げかけた質問に、目の前の先生が真剣に応えようとしてくれている…。」
そんなことを確かめながら、子どもたちは「質問してよかった。」と思ってくれるのではないだろうか…。
「わかった。」という安堵がほっぺたに表れたとき、その顔は確かに素敵になる。
それを間近から見られるのが「勉強会」のよいところだ。
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