森山’s Honey Bucket 4
超がつくほど素人だけれど写真を撮るのが好きです。
美しいと感動したり
畏怖の念を持って合掌したり
思わず涙が出てしまったり
そんな風景に出会うことがあります。
その多くは
まさにこれを見るためにここへ来たのだ…「待ってました。」というのではなく、
偶然目の前に現れた、「わー。」という出会いです。
「この瞬間の幸せと感激を残しておきたい。」
デジカメなのを良いことにバチバチ撮ってしまいます。
だからなのかも知れません。
またはもっと根本的に
カメラの操作をきっちりと勉強していないことが原因かもしれません。
「え~っ??」「あれ~。」「なんでやねん!」
もっともっと美しい風景をとらえたはずなのに…、
後で見てガッカリしてしまう写真になっていることもしばしばです。
むしろそんなのばっかり、と言った方が当たっています。
でも開き直って…
少々出来損ないの写真でも、
ふとした機会に撮り貯めたものを見返すと、
「あの景色はほんとう美しかったなあ…」
「生きてるあいだにもう一回訪ねてみたいなあ…」
なんて思い、かならず幸せいっぱいになれます。
心の写真館には再入場できるのです。
これからも機会があればバチバチやりま~す。
ちなみにこんなのに感動しました。
(僕にしてはうまくいった部類を集めてみました。本日、大好きな富士山編。
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ブログが始まってもう何回目かな?毎回、ネタがネタがと言っております。
でも、他のみんなのを見ると、すごいなあ。自分の夢(未来)を語り、自分の過去を語り、自分の現在を語り、すごいなあ。
立場的に教え子に当たる方たちもいますが、とても、とても、先生でしたなんて恥ずかしくて言えない。もちろん、先輩であった先生方には言うに及ばず。卒業してから、ん十年は経つのに、ひとつも近づきはしない。
さて、その中に混じって、ますます場違いに感じてきました。中身のない文章。どうでもいい文章。いつまで続けているんだ!?
さあ、夢を求めて、ふとんの中に行きましょうか?
でも、他のみんなのを見ると、すごいなあ。自分の夢(未来)を語り、自分の過去を語り、自分の現在を語り、すごいなあ。
立場的に教え子に当たる方たちもいますが、とても、とても、先生でしたなんて恥ずかしくて言えない。もちろん、先輩であった先生方には言うに及ばず。卒業してから、ん十年は経つのに、ひとつも近づきはしない。
さて、その中に混じって、ますます場違いに感じてきました。中身のない文章。どうでもいい文章。いつまで続けているんだ!?
さあ、夢を求めて、ふとんの中に行きましょうか?
先日の21日(土)
藤原学園 今里本部校にて、保護者の方対象の、高校進学懇談会総会が行われました。
五ツ木書房 常務取締役 岡本不二男氏をお迎えして、
今年度の五ツ木テスト受験者から推測される志望動向など
具体的な内容・資料を交えた貴重なお話しをいただきました。
また、22年度入試のシステムについて、本部校 横山先生より
詳しく説明をしていただきました。
最後には、プロジェクターを使用し、今後の学園の指導体制説明、特に、
冬期合宿講習を中心に、上本町校 森山先生よりお話していただきました。
スクリーンいっぱいに映し出される、少し前の先輩方の、
星くずの村での最後の踏ん張り。
毎年、この映像を見るたびに、ああ、いよいよ、受験勉強も、
最終段階だなぁと、改めて気持ちの引き締まる思いです。
「普通」の受験生は、調子に乗ったり、落ち込んだり、
穏やかでない日々がこれから嫌でも、しばらく続くと思います。
心理状態と、それに連携した体調も、実に不安定に成ってきます。
もうどうでもいい!とあきらめかけたり、
いや、やっぱりがんばろうかなと、思いなおしたり、
他人との協力や励まし、あるいは、嫉妬に悩んだり。
そういう、タイトな日々の連続で、疲労困憊ぎみ。
まぁ、でも、そんなこんなで、じわりじわり蓄積する「人間力」
いつか、友達や、後輩、あるいは、時に、先輩が困っているときに、
さっと、手をさし伸ばせたら・・・
一番幸せなのは、きっと、さし伸ばすことができた自分自身。
春まで、もうしばらく、非常モードで一緒にがんばりましょう★
でも、壊れたらだめだよ!
★若江岩田教室
昭和57年 秋。一通の手紙が本部教室に届いた。
若江岩田にある電気屋さんからで、倉庫があいたので、
教室として使わないかという内容のものだった。
教室として使わないかという内容のものだった。
その当時、分教室は出さないというのがヒゲ先生の方針だったので、
本来なら可能性のない話だったのだが、
場所が若江岩田というのが、大きなポイントとなった。
本来なら可能性のない話だったのだが、
場所が若江岩田というのが、大きなポイントとなった。
ヒゲ先生が戦後初めて勤務したのが、若江国民学校だったのである。
とりあえず、あの辺りがどうなっているのか見て回って、
ついでに教室も見てみようということになった。
教室見学はついでであったのだ。
ついでに教室も見てみようということになった。
教室見学はついでであったのだ。
ヒゲ先生の思い出話を聞きながら界隈を散歩したあと、その物件を見に行った。
中に入ると担当の方がおられて、随分熱心に勧誘頂いた。
物件は倉庫あとで80坪と相当に広いものだった。中はがらんどうで何もなかった。
ただ建物の前は公園で雰囲気は非常によかった。
ただ建物の前は公園で雰囲気は非常によかった。
また後日返答しますと答えて帰りかけたとき、
担当の方が
「いろいろのデータを調べて、我々としては藤原学園に入って欲しいと思い手紙を書いた。
ぜひ検討いただきたい」とまた熱心に語りかけられた。
そして「別の人もこの物件を見つけて、入りたいと言ってきている。」と外にいる人をさして言った。
担当の方が
「いろいろのデータを調べて、我々としては藤原学園に入って欲しいと思い手紙を書いた。
ぜひ検討いただきたい」とまた熱心に語りかけられた。
そして「別の人もこの物件を見つけて、入りたいと言ってきている。」と外にいる人をさして言った。
その時、ヒゲ先生が私を振り返り「お前やってみるか?」と聞いたのだ。
それが若江岩田教室のスタートであった。
先日若江岩田教室の下に新しいスーパーがオープンした。
スーパーが入ることが決まってからは突貫工事だった。
(まったく様子が変った)
その工事に伴い、我が若江岩田教室の様子も、長年使った階段がなくなり、ずいぶん汚れていた
廊下の壁や天井がきれいになるなど、様子が変った。
(新しい階段)
(東側にあった階段はなくなった)
前のスーパーが撤退を決めたときには、教室の移転も真剣に考えたが、
紆余曲折を経て、
この場所でまた子どもたちと心おきなく触れ合う事が出来ることになった。
この場所でまた子どもたちと心おきなく触れ合う事が出来ることになった。
そのことを望外の幸せと感じ、またあらたな歴史を刻んでいきたいと思っている。
「出会わない方がよかったという人などいないと言ってくれ」
中島みゆき
ではまた。
真也
はじめまして!47期生の高見です。
現在大学4回生、普段は若江校のお手伝いをさせていただいています。
今日は、報告もかねて将来の夢について考えていることを書きたいと思います。
先日、来年度から小学校の教員になることが決まりました。(まだ内定ですが)
とてもとてもうれしかったし、これからもっと色んなことを勉強して、良い先生になれるように頑張りたいと思っています!
でも、私は小さいときからずっと先生にあこがれていたわけではありません。
小学校の卒業文集に書いた夢は「イルカと泳いでいる人」、中学校の文集では「とにかく笑う」でした。高校3年間はハンドボールしか頭になくて、将来のことなんて考えていませんでした。そしてなんとなく教育学部に入学しました。
「子どもが好き」ではあったけれど、「先生になる」なんて考えたこともありませんでした。中学生のときは、
「中学生にこんなにバカにされたり反抗されたりして、学校の先生になるなんて絶対いやだ。」と考えていたほどでした。
自分が何をしたいのか、どんな仕事をしたいのかずっとわかりませんでした。
「世界中を飛び回るようなキャリアウーマンになりたい」「パン屋さんになりたい」「お笑い芸人も楽しそうだ」「水族館で働きたい」「雑誌の編集とかカッコイイな」「スポーツ選手になりたいな」「頑張ったら女優さんにだって・・」「田舎で農業もいいな」「ラガーマンと結婚して主婦になれたらな」「銀行員もいいな」「理学療法士になりたいな」「探検家」
やりたいことがありすぎます。
全部なんてできない。どれかなんて選べない。
じゃあまあとにかく笑って生きられたらいいか。
悩みに悩んで、悩むのをやめようとしました。
でも藤原学園で授業をさせてもらったり、教育実習を経験したりする中で、
気づいたのです。
もしも先生になれたら、、、
1年に40人近くの子どもたちと知り合うことができて、絆を深めていける。
そしてその子たちの夢を応援する力になれたら。。。
ということは、、、
先生ってたくさんの夢に関われる、最高の職業やん!
毎年いっぱい、色んな夢のことを考えられるやん!と。
まあなんてすばらしいことに気づいたのでしょう。
「うお~!!!先生になりてぇ~!!」
気づいてしまったからには猛勉強です。勉強だけでなく面接の笑顔の練習までしました。
目標に向かって進むことは、しんどいけれど、嫌ではないはず。だから頑張れました。
人の夢・人の人生に関わるということは、それだけ責任の重い仕事、簡単ではない仕事なのだと思います。こんな私が先生になっていいのかと、これから苦しむこともあるでしょう。不安に思うことも山ほどあります。でもいまはそれ以上にワクワクでいっぱいです。
みなさんはどんな夢をもっていますか?
私のように、夢が分からなくて悩んでいますか?
一つ言えることは、「夢や目標があると頑張れる」だから目標をもって頑張ろうということ。そして、それがなくても、「今自分にできること」に必死に取り組むことできっと夢に近づくということ。「できること」を頑張ることは自分の選択肢を増やすことだと私は思います。
また教室でお話しましょう。
現在大学4回生、普段は若江校のお手伝いをさせていただいています。
今日は、報告もかねて将来の夢について考えていることを書きたいと思います。
先日、来年度から小学校の教員になることが決まりました。(まだ内定ですが)
とてもとてもうれしかったし、これからもっと色んなことを勉強して、良い先生になれるように頑張りたいと思っています!
でも、私は小さいときからずっと先生にあこがれていたわけではありません。
小学校の卒業文集に書いた夢は「イルカと泳いでいる人」、中学校の文集では「とにかく笑う」でした。高校3年間はハンドボールしか頭になくて、将来のことなんて考えていませんでした。そしてなんとなく教育学部に入学しました。
「子どもが好き」ではあったけれど、「先生になる」なんて考えたこともありませんでした。中学生のときは、
「中学生にこんなにバカにされたり反抗されたりして、学校の先生になるなんて絶対いやだ。」と考えていたほどでした。
自分が何をしたいのか、どんな仕事をしたいのかずっとわかりませんでした。
「世界中を飛び回るようなキャリアウーマンになりたい」「パン屋さんになりたい」「お笑い芸人も楽しそうだ」「水族館で働きたい」「雑誌の編集とかカッコイイな」「スポーツ選手になりたいな」「頑張ったら女優さんにだって・・」「田舎で農業もいいな」「ラガーマンと結婚して主婦になれたらな」「銀行員もいいな」「理学療法士になりたいな」「探検家」
やりたいことがありすぎます。
全部なんてできない。どれかなんて選べない。
じゃあまあとにかく笑って生きられたらいいか。
悩みに悩んで、悩むのをやめようとしました。
でも藤原学園で授業をさせてもらったり、教育実習を経験したりする中で、
気づいたのです。
もしも先生になれたら、、、
1年に40人近くの子どもたちと知り合うことができて、絆を深めていける。
そしてその子たちの夢を応援する力になれたら。。。
ということは、、、
先生ってたくさんの夢に関われる、最高の職業やん!
毎年いっぱい、色んな夢のことを考えられるやん!と。
まあなんてすばらしいことに気づいたのでしょう。
「うお~!!!先生になりてぇ~!!」
気づいてしまったからには猛勉強です。勉強だけでなく面接の笑顔の練習までしました。
目標に向かって進むことは、しんどいけれど、嫌ではないはず。だから頑張れました。
人の夢・人の人生に関わるということは、それだけ責任の重い仕事、簡単ではない仕事なのだと思います。こんな私が先生になっていいのかと、これから苦しむこともあるでしょう。不安に思うことも山ほどあります。でもいまはそれ以上にワクワクでいっぱいです。
みなさんはどんな夢をもっていますか?
私のように、夢が分からなくて悩んでいますか?
一つ言えることは、「夢や目標があると頑張れる」だから目標をもって頑張ろうということ。そして、それがなくても、「今自分にできること」に必死に取り組むことできっと夢に近づくということ。「できること」を頑張ることは自分の選択肢を増やすことだと私は思います。
また教室でお話しましょう。