●むこう向きのおっとせい その56
昨日、ヒゲ先生の満中陰の法要があった。
極楽浄土に無事たどり着くだろうか。
ヒゲ先生の事だから、閻魔大王ともめたりしてないだろうかなど思いながら僧侶の読経を聞いていた。
ヒゲ先生の事だから、閻魔大王ともめたりしてないだろうかなど思いながら僧侶の読経を聞いていた。
その後の会食(お斎と言うらしい)で、ヒゲ先生の事を中心に、親族で随分会話が弾んだ。
自分の知らないヒゲ先生の姿がそこかしこにあった。
話をしながら、血のつながった者同士の一種独特の連帯感みたいなものを感じた。
血のつながりと言えば、昨日は来ていなかったいとこの一人が、
先日のお葬式の時に藤原家の家系図を作成して持って来てくれた。
亡くなったヒゲ先生のお兄さんが書き留めていたものを整理したとのこと。
ヒゲ先生のお父さん、すなわち私の祖父の5代上の先祖までさかのぼって書いてある。
まとめる労力は大変なものだった思う。恵吉(祖父)・タケ→峯三郎・シモ→常平・里野→万兵衛・アキ→政平・ひな→善四郎・いう
政平1734年生、1816年亡と書いてあるので、江戸時代、享保の改革が行われた頃に生まれ、
82歳まで生きた事になる。
82歳まで生きた事になる。
その当時としては随分長生きの部類に入るのではないだろうか。
次の万兵衛さんも76歳まで生きているので(この方も江戸時代生まれ)長生きの家系かもしれない。
シモさん、里野さんてどんな人だったのだろう。表を見ているといろんな事が想像できておもしろい。
自分が今こうして生きているのは、これらの祖先がさまざまな物語を刻みながら、
命をつないできたからだと改めて感じる。
命をつないできたからだと改めて感じる。
時にはこの家系図を眺めながら、ヒゲ先生の事、そして祖先の事に、思いを馳せたいと思う。
ではまた。
(家系図です)
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