●むこう向きのおっとせい その42
昨日一心寺におばあちゃんに会いに行った。
随分長い間、会いに行く事をしなかったのだが、ようやく会う事が出来た。
とてつもなく優しいおばあちゃんだった。
おばあちゃんとの事で覚えている最初の出来事は、縁側で、二人で何か雑誌の写真を見ていた時の事。
おばあちゃんは写真を見ながら、「しん君は幸せになれよ。」とぼろぼろ涙を流していたのである。
何の写真だったのか、幼い私に分かるすべはないのだが、
おばあちゃんは涙を流しながら、優しく頭をなでてくれていた。
その手の感触は今も残っている。
おばあちゃんは涙を流しながら、優しく頭をなでてくれていた。
その手の感触は今も残っている。
そんな優しいおばあちゃんだったのに、その後反抗期を迎えたこのくそ孫は、随分ひどい口をたたいたのだ。
なぜあんなにおばあちゃんの気持ちも考えずに、偉そうな口がきけたのだろう。
今も思いだすと胸が苦しくなる。
なぜあんなにおばあちゃんの気持ちも考えずに、偉そうな口がきけたのだろう。
今も思いだすと胸が苦しくなる。
だからドラえもんの「おばあちゃんの思い出」を見ると、誰もいなければ号泣してしまうのだ。
いいおっさんがみっともないのだが。
いいおっさんがみっともないのだが。
一人の人の死には、たくさんの人の思いが詰まっている。
「生者のある限り死者は生きん」である。
昨日15日は終戦記念日だった。
殺したくもなく、殺されたくもない、多くの人が無残にも死んでいった。
そんな人たちの気持ちや残された人の気持ちを思うとたまらないものがある。
やはり戦争はいけない。
時に、無念に死んでいった人たちの事に思いをはせ、忘れないことが大事なんだろうと思う。
ではまた。
(だいぶ秋らしい雲になってきました。)
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