森山’s Honey Bucket 16
「働くことの大切さ」についてあなたの考えを述べなさいという題の高校入試小論文を添削するとこになった。添削に取り掛かる前に、「働く」とはどういうことなのか、自分なりに整理してみることにした。
「働くことの大切さ」についてあなたの考えを述べなさいという題の高校入試小論文を添削するとこになった。添削に取り掛かる前に、「働く」とはどういうことなのか、自分なりに整理してみることにした。
「働く」ことは(それ自体が収益に繋がるとか繋がらないとかいうこととは全く別次元で)、他者に何かを「働きかける」ことが出発点となる行為であると思う。
また、「働く」ことから得られる満足というのは、
①自分の行為を受けとめた他者がより良い状態に変化したことを確かめられたとき
②働きかけられた者が、自分が得たものの幾らかの部分が、その「働きかけ」によってもたらされたと認識し、行為者と喜びを共有したいと感じてくれたとき
③「ありがとう。」と言われたとき
など、どれも幾らかの時間を経て後に他者からもたらされる満足。言い換えれば「自分に還元される種類の満足」である、と僕には思える。
「趣味」は第一に自分の満足が優先され、「働く」とは第一に他者の満足が優先される。
世の中には、自分が好きで仕方のないこと(趣味)を究め、その事実が多くの人の心に働きかけたり、行動の拠り所になったり、という人生を歩んでいる方もおられよう。「趣味」を「働くこと」に転換できるのは恵まれたことであり、素敵なことである。
さて、僕自身が人生を振り返ったとき、自分にはかなり欠如していたと思われる点がある。(この歳にして恥ずかしい限りではあるが…)
自分は「趣味」と「働くこと」を明確に意識してこなかったのではないか、という点だ。
確かに自分は好きなことであるこの仕事を自分なりには一所懸命やってきたつもりだ。しかし本当の意味で働いてこれたのだろうか?ひょとして「趣味」を延長したに過ぎないことしかしていないのに、勝手に働いてきたと納得しているのではないだろうか?
自分の言動が、人に働きかけをなし(つまり人の心を動かす)、日々僕自身が「働いている」ことを自覚し、「働いた結果としての満足」を得るためには、どうすればよいのだろうか。
考えた末に今夜行き着いたのは、
①他者に発する自分の言動が、その人に対してどういった意味を持つものなのか(満足をもたらす可能性があるのか)しかと考える。
②次に、それを伝えるため、誠意ある説明を試みる。
③投げかけた言動に対する他者の反応をしっかり見る。そして、待つ。
できるか?
できなければならない。
目の前にしているのは、この国の将来を担う人たちだから。
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