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2024/12/27 03:53 |
夏を経て
こんにちは!
八戸ノ里校で働かせてもらっている坂田晃樹です。


みなさん夏休みが終わり、9月から学校生活が始まりました。
夏休みどうでしたか?
早く学校に行きたいと思ったり、もっと夏休みが欲しいと思ったりといろいろだと思います。

その中でも中学3年生の方にとっては、
とても思い出に残った夏休みになったのではと思います。

部活の引退です。


中学1年生から2年半ほど毎日毎日頑張って続けてきた部活。
様々な思いがあったと思います。
先生に怒られてクラブに行くのが嫌になったり、
試合や大会でいい結果を残せてみんなで喜び合ったり。


僕もバスケをしていましたが、今でもそれらのことは鮮明に覚えています。
そして、引退試合では1回戦から強豪校とあたってしまい負けてしまいました。


しかし、最後の試合では2年半続けて培ってきたことを全て出せてとてもやりきった思いでいっぱいでした。
とてもすがすがしかったです。


中学1、2年のみなさんは残りの時間を最後にやりきったと思えるように、精一杯頑張ってください!!
3年生のみなさんは、これからの半年弱の間、勉強を頑張って自分の行きたい高校に行き、
また高校で素晴らしいクラブ生活を送ってください!!
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2011/09/04 21:33 | Comments(0) | TrackBack() | 若い衆の声
わくわくパワー

ワクワクの土曜日担当、池畑ことあっくんです☆

本日も僕のヒトリゴトにお付き合い下さい♪

 

 

講習会中は行けなかった教室もあったので久しぶりに皆の顔が見れると思っていた矢先の台風です。
う〜ん、残念。

今日は不思議と穏やかですが、昨日は窓の外で唸りをあげる風の音に少し怖さを感じました。

 

そして「星くずの村」のある小豆島はまさに直撃なので随分と心配です。

来週末には実験学校があるので、大きな被害が出ていないことをただ祈るばかり。

 

 

今でこそこうして台風がやってくると恐ろしさを感じたり心配をしたりしますが、子どものときってそうではないですよね。

 

小学生の頃なんかは、むしろ台風がやってくることがわかるとワクワクしていました。

 

時間ごとに強くなっていく風を感じては妙に気持ちが高揚していたものです。

 

 

今思えばそれは、台風の本当の恐ろしさを知らなかったからであり、そしていざというときには必ず自分守ってくれる人がいるという安心感があったからなのでしょう。

 

 

ということを今朝考えていたら、脳科学者の茂木健一郎さんがTwitterでこんなことを書かれていた。

 

 

なぜ、私たちは台風が近づくとわくわくするのだろうか。それは一つの適応であると考えられる。何が起こるかわからないという「偶有性」に向き合い、柔軟に対応するためには、いたずらに怖がっていたり、不安を感じていてはならない。「フリーズ」しては、臨機応変に動けない。

 

台風はもちろん危険なものであるが、だからこそ、わくわくすることで、脳はその潜在能力を最大限に発揮できる。わくわくは、偶有性への適応戦略である。子どもの頃、「大型で強い台風」と聞いて胸がわくわくしていたのは、そんな理由があったのである。」

 

 

 

なるほど。

 

危険に対して最高のパフォーマンスを発揮するためにワクワクする。

 

そうなのかもしれないですね。

 

 

そう言われてみれば、「うまくいってる人」を見たり、その人の話を聞いていると多くの人に共通していることがあります。

 

 

それは、

 

大変な状況におかれている場合、むしろワクワクしてその状況を楽しんでいる

 

ということ。

 

 

そして、見事その状況を乗り越えていくのです。

 

 

茂木さん流に考えれば、ワクワクしているからこそ力が発揮されて危機的状況を乗り越えることができたということですね。

 

 

 

困ったときにはとりあえずニカッと笑ってみようかな。

 

 

世の中は楽しんだ者勝ち。


2011/09/03 15:50 | Comments(0) | TrackBack() | あっくん(池畑)の大きなヒトリゴト
逆らわないで いられるか
kouitikun.gif


こんにちは

CY ( コンパクト ヨコヤマ ) です




また 台風が近づいてきた










“”自然”” について考えてみる



地球そのものが 自然・・・   宇宙そのものが 自然・・・

ヒトが自然に逆らう・・・  なんてことは あり得ない

ヒトも自然の一部 ほんの一部




中国の 老子が言った

『からだの中で 一番強い部分はどこじゃ?』

老子の答は 『骨でもなく 歯でもなく  それは 舌・・・』

老いれば 骨はスカスカに 歯もなくなっていく

しかし 舌は 堅くもなく ただ柔らかいのみ

しかし 舌は 死ぬまで 身体に残っている その形さえ崩すことなく




逆らわないで いられるか

後ろ向きでも 無気力でもなく 真剣に生を 『いきる』ため


では また金曜日に・・・

2011/09/02 00:29 | Comments(0) | TrackBack() | 『この道の果てまで・・・』横山のつぶやき
たこ焼き
森山’s Honey Bucket 94
 
 
 今の僕の体型からは想像すらできない話だが、
 
 
小・中・高時代の僕は痩せギスだった。
 
 もとよりチビだったので、やせっぽちの超チビ少年だった。
 
 
 痩せギスの理由(これまた今の自分でも不思議だが)は、
 
「食すること」に一切関心がなく、むしろ「食」の時間が苦痛だったことだ。
 
 
 母の作るカレーライスとオムライス…
 
そしてネギの入っていないきつねうどん、と、もう一つ…
 
が数少ない好物だった。
 
お寿司も特に喜ばず、お肉に至っては心底毛嫌いしていた。
 
 
 そのもう一つの好物こそが、「たこ焼き」であった。(もちろん今も大好物)
 
 
 昨夜の夕飯が家内自慢の「たこ焼き」だったので、ふと昔のことを思い出した。
 
 
 
 
 銭湯「梅之湯」の並び、「本六地蔵様」の隣に、
 
僕が毎日のように通ったたこ焼き屋さんがあった。
 
姉妹らしいおばあさん二人が店を切り盛りしていた。
 
 
ぼくはどちらかと言えば、表面だけでなく中身にも火が通って全体が
 
カリカリになった「売れ残り」的なたこ焼きが好みだった。
 
まあよく繁盛している店だったので、
 
お目当ての「カリカリ」が当たることはめったになかったのだが…
 
 
 
ある日、珍しくぼく以外のお客さんがいなかった。
 
おばあさんは、普通のたこ焼きをのせた木の舟皿の横に
 
偶然にも僕の大好物のカリカリたこ焼きを
 
2つだったか3つだったかおまけでつけてくれた。
 
(毎日のように店に通ってくるぼくを、健気に思ってくれたのだろうか?)
 
そしておばあさんは、人差し指を1本、結んだくちびるの前に出して合図をした。
 
 
ぼくにはその合図に、「内緒だよ。」という意味が込められていることをよく理解できず、
 
ただ嬉しくて満面の笑みでお礼を言った…(そんな記憶がある。)
 
 
それからも何度かおばあさんはくちびるに人差し指をあてながら、
 
2つまたは3つとおまけのたこ焼きをプレゼントしてくれた。
 
 
ぼくはますますそのたこ焼き屋さんが、そしておばあさんたちが、好きになっていった。
 
 
 
その日も、湯気の上がる舟皿を手に、店の奥の座席に向かうと、
 
そこには同級生の子がすでにたこ焼きを頬張っていた。
 
別の壁際に大人の人が2人程いた気がする。
 
 
ぼくは居合わせた友だちに、
 
ここのたこ焼き屋さんがいかに素敵で、
 
おばあさんたちが優しい人であるかを伝えたい一心で、
 
「このお店の人はとても親切なんだ。
 
いつもおまけのたこ焼きをプレゼントしてくれるんだ。」
 
と話しかけた。
 
おばあさんたちへの感謝を示したい気持ちもあったので、
 
友だちだけに聞こえるのではなく、
 
おばあさんたちの耳にも届くほどの声を出していたのだろう…
 
 
 
ぼくがそんなことを言い終わるか否かのタイミングで
 
おばあさんの一人がぼくのそばに駆け寄ってきた。
 
 
そして、
 
「そんなことを言うもんではない!これから二度とおまけなんかしないからね!!」
 
と、厳しく叱られた。
 
 
その日のたこ焼きがどんな味だったか、全く覚えていない…
 
 
 
受けた親切に対して、自分なりに精一杯感謝を示したはずのぼくの行動が
 
おばあさんたちをあせらせ、おこらせてしまうことになった理由
 
(あの場面ではそうせざるを得なかった大人の事情)を、
 
ぼくは、相当年が過ぎてやっと解釈できるようになった。
 
 
 
でも当時のぼくは、その日を境にその店には行けなくなってしまった。
 
店の前を横切ることもできなくなった。
 
 
深く傷ついたのだ。
 
 
 
 
 
ぼくは長じて子どもたちを相手にする職業を選択した。
 
今も日々、子どもたちの前に立ち、横に座り、
 
話もし、ときには叱りつけもする。
 
 
 
 
思えば、ずいぶん怖ろしい仕事だ。
 
自分の立場からは正しいと信じて発する言葉や行動が、
 
知らず知らずに子どもたちを深く傷つけることになってはいまいか…
 
 
ときおり卒業生から
 
「あの時はひどく叱られた。」とか
 
「あんなに叱られた記憶は他にない。」とか
 
「先生の勉棒が一番きつかった。」とか
 
暴露され、
 
「そうやったかなあ?ほんまか?それは悪かった悪かった…」などと
 
赤面することがある。
 
 
しかし、こういった素敵なチャンスが与えられることはむしろ稀なことだ。
 
 
 
それぞれの子たちの心の機微やその真意を、どの瞬間にも感じ取り、理解する。
 
それは絶望的に不可能だ。
 
 
だとすると、子どもの心を深く傷つけずに済む方法とは?
 
 
 
たくさんの人のたくさんの価値観に触れ、共感できる自分(大人)であること。
 
 
自分の心を穏やかに保ち、キツキツ・カツカツで子どもに接しないこと。
 
 
だます子どもを悪人に仕立てる前に、
 
「あっ、またやられた。」と自分で自分を笑ってしまう…という心の持ち主が理想だ。
 
 
 
そして、やっぱり原点は
 
「子ども大好き」  
 
それだけか!
 

2011/09/01 23:50 | Comments(0) | TrackBack() | 森山's Honey Bucket
前日の興奮
僕は、大きなイベントがある、前日は、
興奮してまず、眠れません。

89743368.JPG













はやく寝ないと・・・と思えば思うほど、
ぎらぎらと眼が冴えてしまいます。

そして、当日、寝不足のけだるい状態で
スタートせざるをえない損な性分です。

あれも、楽しもう、これも楽しもうと、
色々と、欲張り過ぎなのかもしれませんね。


249831c8.JPG
















鈍くても長く活動すべきか、敏感かつタイトで有るべきか。
そこらへんの駆け引きが難しいです。

2011/08/30 17:32 | Comments(0) | TrackBack() | 【学園 fotologue】 posby:溝端

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