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2025/09/15 08:52 |
中3冬合宿(思い出編)
こんにちは。

WH(若江の林です。ワイド林ではない!)です。

NEC_0251S.jpg






本日(12/29)、中3が小豆島から冬合宿を終え帰ってきます。そのことについては真也先生が明日語られる予定ですので、私は思い出(重いで~ではない)話などを。

今から数十年前(数年前や十数年前ではなくなっていることに愕然としますが)、私もやっぱり中学3年生でした(おっさんぽかったですが)。当時は1/2~7の5泊6日の冬合宿でした。正月気分が抜けないどころか、正月気分も味わえないうちの出発でした。出発の朝は今と違い港集合でしたが、直接港へ行く市バスもあったのでそれに乗って集合しました。そして港から出帆、当時も船内学習がありました。小豆島についてからの学習も、今とあまり変わりません。午前や午後は分科会(数学や英語)、夜は電話帳の学習。ただ大きく違うのは、当時は大部屋でみんなで学習ではなく、各部屋に先輩が来てくださり、各部屋で学習をしていました。今と同じくわからないところは質問!でした。そしてそのときの先輩は、現上本町校校長の森山先生でした。森山先輩が大学1年、我々生徒は中学3年でした。今思うと数奇な縁ですね。

数年後、今度は先輩・先生として参加させていただくようになりいろいろありました。昭和64年に出発し帰りの船で平成元年になったり、毎年、合宿帰りの次の日の1限目に大学の英語のテストがあったり(当然通らない、何とかレポートで合格させてもらった)と、短い合宿期間に日本が、そして世界が変わっているんです。
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2009/12/29 12:00 | Comments(0) | TrackBack() | ここは林の道かね?
高速道路
こんにちは。

WH (若江の林 : ワイド林ではない)



              です。

今日は高速道路1,000円の話、ではなく、高速道路での移動中の話です。

毎月の小豆島への移動で、子どもたちはバスに乗って高速道路を走っていますが、私も一緒に乗用車で荷物を載せて移動しています。そんな道中でのお話です。


高速道路では、いろいろな「もの」が運ばれています。ブタや競走馬、時には



画像が荒くわかりにくいですが、迷彩服を着た自衛隊の方(おそらくこんな一般人はいない)だと思われます。いまどきの若者らしく携帯をいじっていたりしています。


季節の移ろいも好きです。春には桜をはじめいろいろな花が咲き始めるのもきれいだし、夏は緑が美しい。秋は



紅葉が見られてきれいだし、冬枯れもそれなりに見られるものです。


風景や夜景も美しいです。明石大橋

 (ちょっと遠くてわかりにくいですね)


や、クリスマスの時期にチラッとだけ見えるルミナリエや御堂筋のライトアップもきれいです。


高速道路を走るのは楽しいです。

 船まで走っていました!



2009/12/23 11:10 | Comments(0) | TrackBack() | ここは林の道かね?
釣り
 小3のとき父に連れられてフナ釣りに行った。それが初めての釣行だった。小学校時代はフナ釣りばかりだったが父によく連れて行ってもらった。
 高学年から中学生にかけては釣り友達と海にも釣りに出かけるようになった。もちろんお金のかかる船には乗れないので防波堤からの釣りとなる。投げ釣り(重いおもりをつけて遠くへ飛ばして釣る方法)や穴釣り(テトラポットの間にいる魚を狙う)などが中心だった。
 高校や大学時代はほとんど釣行する機会はなかった。
 藤原学園にお世話になるようになって、小豆島という絶好のポイントを前にいつも指をくわえていたが、子どもたちが釣りに行くのについていくときにちょっとだけ釣らせてもらった。
 それから、真也先生が釣りに興味を持ち一緒に釣りに行くようにもなった。やったことのない太刀魚釣り。釣具屋で仕掛けを教えてもらい、釣り方を教えてもらい、やってみた。何回か行くうちに要領がつかめてきて釣れるようになってきた。釣れたての太刀魚は本当にきれいだった。月の光に照らされ青いシルバーに輝く。もちろん食べてもおいしかった。
 まだ実際には釣りに言ったことはないけれどフライロッドとリールを買ってフライフィッシングにも挑戦した。フライは糸だけの重さで軽いフライ(毛ばり)を遠くに飛ばさないといけないので、独特の竿さばきが必要だ。竿を前後に振りながら糸をだんだん長くしていく。その練習は何回かした。それだけでもおもしろい。本当の釣り場でやってみたらもっと面白いかも。
 他にもまだやったことのない釣り方はたくさんある。機会があればいろいろ挑戦したいものだ。

2009/12/16 03:54 | Comments(0) | TrackBack() | ここは林の道かね?
ギター
 中学3年からギターを始めた。家にあった姉のギターで練習を始めた。教則本を買ってきてレコード(当時はまだレコードだ)に合わせて弾くのだが、最初はなかなかうまくいかない。練習あるのみだ。そこで心に決めたことがあった。
 ひとつは毎日少しでいいから練習しようと。それから1年、修学旅行や合宿以外は毎日弾いていた。中学の卒業式で友達たちと一緒に弾いた。やっと一緒に弾けるようにはなったと思っていた。実際はまだまだ差があったようだが。高校では軽音楽部に入った。クラブで毎日弾けるので、そこでようやく一人前になったかな。クラブで教えてもらったミュージシャンの曲を練習した。(後にそのミュージシャンに教えてもらう機会を得て1年ぐらい教えてもらった。)このことから、毎日少しでもいいから練習することが大事であると学んだ。まさに勉強と一緒である。
 もうひとつは学校の成績が下がったら、絶対にギターのせいにされるのはわかっていたので、そうならないように勉強した。もちろん中学3年であったから受験勉強はしなければいけなかったが、それはともかく成績をギターのせいにはされたくはなかった。中3から高2までよく練習しよく勉強したと思う。さすがに大学受験時はギターを弾いている場合ではないと弾かない日もあったが、成績もパッとしなかった気がする。ある意味メリハリが効いていたのだろう。
 勉強も遊び(趣味)も一生懸命にする。現在も続いているスタイルである。

2009/12/09 02:40 | Comments(0) | TrackBack() | ここは林の道かね?
受験
 小学生の卒業文集に将来の夢を書く欄があって、そのとき初めて、将来に何をするかを考えた。その時点ではまったく何になりたいとか無かったので、友だちが書いていた「建築士」をまねして書いた。まあ、ものづくりは好きだったし、大工さんにもあこがれていたので、いいかなあと思った。

 中学生になり、高校を選択するとき、早く働きたいと思い「高専」を受験した。高専は5年生の学校で高校と短大を足した様な学校で、就職率もよかったし、大学に行きたいと思えば編入できるとも聞いたので選択した。けれども、学科を選択するとき、「建築学科」は近畿では国立明石高専しかなかった。合格すれば寮生活になるなあと思いながら、始発近い電車に乗り、明石高専の近くの「魚住」駅に向かった。社会が難しかった。そのことを引きずったのかどうかは忘れたが、数学の最後の一問が解けなかった。帰りの電車でもずっと考え、ようやくわかった。ひょっとしたらそのせいで、数学以降の教科に影響を与えたかもしれない。結果は合格していたら郵送という、現代では考えられない発表方法だった。現時点でまだ合格証書は届かない…。
 いつまでも待つわけには行かないので、公立高校の願書を出すことにした。私立高校を受験しなかったので、万が一を考え、安全圏の高校を受験することになった。結果的にはいい高校生活だったと思えるので、特に後悔はないが、もし、私立高校を受験していれば、また違った人生になったのかもしれないとは思う。

 高校は普通科だったので、大学を受験することにした。学科はやはり建築学科だ。友だちのまねから始まった目標だが、他にそれ以上のものも見つけていなかったのでそのまま目標になった。建築学科が目標なので大学は家の近くの大学を受けた。受験は数学と化学が満点近く取れたと思うので、苦手の英語を十分カバーしたと思う。

 大学入学後、学園から手伝わないかと声をかけていただき、そのまま何十何年。好きだったものづくりもでき毎日を楽しくさせていただいています。高専の合格証書が来なくてよかった…。

 PS:ネタ切れ日記もネタ切れになりましたので、昔話(本人はそんな自覚はありませんが)にしました。 


2009/12/02 19:19 | Comments(0) | TrackBack() | ここは林の道かね?

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