忍者ブログ
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


2025/04/22 02:51 |
むこう向きのおっとせい その5

●ライブ1
 
今年も残すところあとひと月となった。
地球の自転速度がどんどん加速しているのではないかと思うくらい
時間があっという間に過ぎ去ってゆく。こんな風に感じるのは年のせいか。
子どもの時間はもっとゆっくり流れているのだろうなぁ。
 
この夏、本当に久々にライブを見た。
前に見たのはウン十年前の「デイブメイソン」。デーブ大久保ではない。
 
見たのは学生時代何よりも好きだった、 「サイモンとガーファンクル」のライブ。
 
サイモン&ガーファンクル
アートガーファンクルの透き通った歌声とポールサイモンとのハーモニーの美しさ。
そしてポールの作る心地よい曲と自己を見つめる歌詞の奥深さ。
 
これほど魅了されたバンドは自分の中にはない。
何度聞いただろう。自分で歌詞を訳したりもした。
 
今まで何度か来日しているが、行きたいと思いながらも行くチャンスがなかった。
 
今年そのサイモンとガーファンクルが最後となるであろう(もういい年だからね)日本でのライブをすると聞いた。
 
これは何をさておいても行かないといけない。
いつもは決断するのにうだうだしているのに、この決断は速かった。
 
土曜日、授業がある でもこれだけは行かしてくれと無理を聞いてもらった。
 
当日会場はおじさんおばさんのオンパレード。みんな青春の断片を確認しに来たのだろう。
 
初めて聞く二人のデュエット。一曲目、鳥肌が立った。
京セラドームの2階。豆粒ほどの二人だが、心の中に歌声がしみわたる。
「家に帰りたい」大好きな曲だった。涙が出る。
 過ぎ去った遠い日々が鮮やかによみがえる。
 
あっという間にコンサートは終了。大画面に映しだされるアートの笑顔がいつまでも残像として残った。

 
「忘れえぬ人」は誰にもある。
私にとってサイモンとガーファンクルは間違いなくその中の二人である。
 
二人に会いに行けて本当によかった。至福の時間だった。

日々時間に追いかけられている。たまにはこんな時間があってもいいね。
 
ではまた。
                                            真也
 
PR

2009/11/30 13:32 | Comments(0) | TrackBack() | むこう向きのおっとせい・・・真也のブツブツ
むこう向きのおっとせい その4

 ★若江岩田教室

昭和57年 秋一通の手紙が本部教室に届いた。
 
若江岩田にある電気屋さんからで、倉庫があいたので、
教室として使わないかという内容のものだった。
 
その当時、分教室は出さないというのがヒゲ先生の方針だったので、
本来なら可能性のない話だったのだが、
場所が若江岩田というのが、大きなポイントとなった。
 
ヒゲ先生が戦後初めて勤務したのが、若江国民学校だったのである。
 
 
とりあえず、あの辺りがどうなっているのか見て回って、
ついでに教室も見てみようということになった。

教室見学はついでであったのだ。
 
ヒゲ先生の思い出話を聞きながら界隈を散歩したあと、その物件を見に行った。
 
中に入ると担当の方がおられて、随分熱心に勧誘頂いた。
 
物件は倉庫あとで80坪と相当に広いものだった。中はがらんどうで何もなかった。
ただ建物の前は公園で雰囲気は非常によかった。
 
また後日返答しますと答えて帰りかけたとき、
担当の方が
「いろいろのデータを調べて、我々としては藤原学園に入って欲しいと思い手紙を書いた。
ぜひ検討いただきたい」とまた熱心に語りかけられた。

そして「別の人もこの物件を見つけて、入りたいと言ってきている。」と外にいる人をさして言った。
 
 
その時、ヒゲ先生が私を振り返り「お前やってみるか?」と聞いたのだ。
 
 
それが若江岩田教室のスタートであった。


 

先日若江岩田教室の下に新しいスーパーがオープンした。
スーパーが入ることが決まってからは突貫工事だった。
 (まったく様子が変った)
その工事に伴い、我が若江岩田教室の様子も、
長年使った階段がなくなり、ずいぶん汚れていた
廊下の壁や天井がきれいになるなど、様子が変った。

 (新しい階段) 

(東側にあった階段はなくなった)
前のスーパーが撤退を決めたときには、教室の移転も真剣に考えたが、
紆余曲折を経て、
この場所でまた子どもたちと心おきなく触れ合う事が出来ることになった。
 
そのことを望外の幸せと感じ、またあらたな歴史を刻んでいきたいと思っている。
 
 
      「出会わない方がよかったという人などいないと言ってくれ」
                                                       中島みゆき
                                             
                                                                                                           ではまた。
                                                                                                               真也
   
 



2009/11/23 20:21 | Comments(0) | TrackBack() | むこう向きのおっとせい・・・真也のブツブツ
むこう向きのおっとせい その3
もしも、もしも、もしも
 
加藤和彦(ミュージシャン

32375026.jpg










  初めて買ったLPレコードが 
ザ・フォーク・クルセダーズ
   のファーストアルバムだ った。

フォーク?LP?
今の子供たちにとっては何のことか分からん死語の連発だ。
死語という言葉も死語になっとるかもしれん。
 
LPレコードというのは大きさで言うとCDの化けもんみたいなものである。
ちなみに先ほどサイズを測ってみた。
CDは直径が12㎝。LPは30㎝だ。
どうだ、びっくりしただろう。
おじさんやおばさんはそんな巨大なものを買って喜んでいたのである。
 
結構高価なものだったから、そう簡単には変えず、買うのには勇気がいった。
 
そして記念すべき最初のLPがフォーククルセダーズの「紀元貮阡年」というアルバムだったのだ。
SN3J0045.JPG
(1)
紀元阡年(2)帰って来たヨッパライ(3)悲しくてやりきれない(4)ドラキュラの恋(5)水虫の唄(6)オーブル街(7)さすらいのヨッパライ(8)花のかおりに(9)山羊さんゆうびん(10)レディー・ジェーンの伝説(11)コブのない駱駝(12)何のために

 
今改めて見てみると、「帰ってきたヨッパライ」「水虫の歌」を初めとして、何だか訳の分らんタイトルの曲ばかりだ。
でもこれが本当によかった。
何度繰り返し聞いたことだろう。
 
加藤和彦はそのメンバーの一人だった。
「あの素晴らしい愛をもう一度」を書いた人だと言えばちょっとは分かるかも。
 
その加藤和彦が亡くなった。
 
「死にたいというより、消えてしまいたい」という言葉を残し,自らの人生に幕を下ろした。
人の死の本当の理由はだれにも分かりはしない。
 
加藤和彦と親交のあったわが敬愛する吉田拓郎は「僕は僕で生きていく」というコメントを出した。
 
「僕は僕で生きていく」
「うん、そうだ」とってもいいコメントだと思った。
 
もしも、もしも、もしも
お前がいなければ
ぼくは、ぼくは、ぼくは ここにいてもしょうがない
雲の上を魚が泳ぎ 波のうらを鳥が飛んで
パパが女で
ママが男で
地球は四角だったろう
                       加藤和彦「もしも、もしも、もしも」

今聞いても優しさに満ちあふれた曲をいっぱい書いた人だった。



ちょっと湿っぽくなったので、長くなるが明るい話題も書いておこう。
(詳しくはHoney Bucketで)
 
この土曜日、実験学校の卒業生で、
学園の事務を手伝ってくれていたKちゃんの結婚式に招待されて参列させてもらった。
 
とっても素敵なカップルで、心温まるいい式だった。
人の幸せを見るのは本当に心地いいものである。
 
ちなみにKちゃんのお母さんは、
藤原学園出身なので親子2代ということになる。
そしてそのお母さんとわたしはなんと学園で同期だったのである。
 
時は流れた。
わたしも確実におじさん(まだおじいさんではないぞ!)である。

 
ではまた。
 SN3J0022.JPG
 
 

2009/11/16 02:46 | Comments(0) | TrackBack() | むこう向きのおっとせい・・・真也のブツブツ
むこう向きのおっとせい その2
昨日は藤原学園恒例の「とうふ作り」があった。
 
開始は午前10時。三大栄養素の説明の後。実験開始。
 
まずは一晩水に浸けてあった大豆をすりつぶす。ミキサーでやればあっという
間だろうが、そんなことはしない。各班すり鉢
すりこぎを使って
約40分ひたすらすりつぶす。


  
  最初はこんなものつぶれるのかと思っているのが、だんだんにつぶれていく。
みんな交代しながら大豆と格
闘だ。机の上に乗っているものもいる。今日は無礼講だ。
子どもと参加のお父さん、お母さんも同じように力をすりこぎに込めていく
。一人のお父さんは40分間一度も休むことなくすり続けておられた。すごいパワーだ。
顔には大豆が飛び散っている。

PAP_0000.JPG
「5,4,3、2,1,0。終了!」の合図で、第一段階終了。
 
 

次はすった大豆に水を入れ豆乳作りふきんに流しこんだ大豆をぎゅっと絞ると、
お鍋に豆乳が溜まって
いく。この絞るのがまた楽しい。
 
溜まった豆乳をコンロに掛けて熱する。しばらく見ていると豆乳があふれるばかりに
盛り上がってくる。鍋からあふれる寸前で火を止めるのがまた面白い。
 
そして温度計で80度になるのを待って、いよいよ にがりの投入
だ!ここまで約2時間。これまでの苦労が報われるか、緊張の一瞬。
しゃもじでゆっくり混ぜるとお鍋の中で豆乳がもろもろと固まりだす

「やったー。大成功だ!」
 
最後はこの粒粒の豆腐を型箱に入れて、固めれば完成である。
 
見事に豆腐は完成た。出来上がった豆腐は味噌汁に入れ、
おからに味付けをして昼食タイム。随分と体を使ったのでみんな食欲もりもり。
よく食べる。大食い競争である。今年の猛者はご飯、おから、味噌汁合わせて17杯。
食べに食べたものである。
 
この実験は50年近く学園では続けている。時間や労力をかけたにしては、
出来上がった豆腐はほんの小さなものだ。しかしながらその小さな豆腐を作るのに、みんながひとつになって、楽しく力を合わせて作っていく。
どの顔も笑顔に満ちている。
そして苦労の後に大豆が豆腐に変身する瞬間を目のあたりにする。
そこに感動がある。
 
それが続けている理由なのだ。本当にいい実験だとつくづく思う。
 
「感動するのをやめた人間は、生きていないのと同じことだ」    
                                       アインシュタイン
                         
                        
いくつになっても、いろいろなものに感動していたいものである
 
ではまた。
               PAP_0001.JPG                                                                                                真也                 
 
 


2009/11/09 13:32 | Comments(0) | TrackBack() | むこう向きのおっとせい・・・真也のブツブツ
むこう向きのおっとせい その1

「ブログを始めましょう」なんて若手のI先生が言い出した。
「ブログて何?」「日記みたいなものです」


日記だと!?


日記なんてものは人様に見せるものではない。
自分の内面にわいたもろもろの感情や自分だけの秘密を書くものではないか。
そんな気恥かしい事が出来るのか、とおじさんはまず思った。

自分の感じたことややったことなんて、人が見て面白いのか。
人に読んでもらえるような大したことをやったり、感じたりしてないのに
何を書くというのだ。
と心の中でぶつぶつ言っているうちに、始まってしまった。

大きな流れができると、個人の思いなんてどこかに飛んでしまうのだ。

「むこう向きになっているおっとせい」でありたい。
(なんのこっちゃねんと思った人が多いだろう。さてどういう意味かな。
分かる人には分かる。ちょっとやけくそになっている。)

とぶつくさ書いているだけで、第1回目のブログたらもんが終わってしまいそうだ。

これではいかん

今まで書いた人のものを見ると、スマートに上手に書いてある。
やはりちょっと何かを書こう。


この間(1029日)水走のルーテニスコートの1面を借りて一人でサーブの練習をした。
わたくし今でも健康のためにテニスをやっております。
平日の昼時という事もあって
6面あるコートにいるのは自分一人。
緑のコートと上空には澄み切った青空。自分の打つ球の音だけが響いている。
打っては拾い,拾っては打ちを1時間ばかりしているうちに

何だかyoungだなと思っていたら、
ぎっくり腰になった。




ではまた。


2009/11/02 02:24 | TrackBack() | むこう向きのおっとせい・・・真也のブツブツ

<<前のページ | HOME |
忍者ブログ[PR]