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2024/05/05 15:25 |
お誕生日

森山’s Honey Bucket 93

 

 

 

 いつも家族のことを見守ってくれて 

 

 ありがとう

 

 

 本当ならば満80歳のお祝いができたはずの誕生日の今日、

 

 残念です。

 

 

 ちょっとだけ上等のお酒用意しました

 

 大好きな音楽を家族みんなと聴きながら

 

 どうか美味しく飲んでください。

 

 (おっと今夜息子は合コンで留守でした…ついでにそっちも応援してやってください。)

 

 

 それにしても、うちは毎日お盆ですね?

 

 迎え火も送り火も、行き帰りの乗り物も用意できていないというのに、

 

 毎日のように呼び出されては往復してもらっています。ごめんなさい。
 

 

 

 我が家の鈴虫 合唱をはじめました。

 

 こちらにいたときは耳が遠かったけれど、今は鳴き声しっかり聞こえていますか?

 

 

 日が暮れるのが早くなり 夜が長くなるにつれ

 

 寂しさは今よりちょっぴり増すかもしれません。

 

 お母ちゃんもそうだと思います。

 

 まあそんなときは、今までみたいに厳しく励ましてください。

 

 

 

 お誕生日 おめでとう。

 

 

(私事ばかりでブログを終えます。すみませんでした。)

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2011/08/25 05:35 | Comments(0) | TrackBack() | 森山's Honey Bucket
もう一人の恩師
森山’s Honey Bucket 92

 お盆休みに尊敬する恩師をお訪ねした。
 
 
 年に一度だが、ゆっくりとお話をさせていただくたびに
 
仕事に関して身の引き締まる思いをしたり
  
生き方について、今一度考え直したり
 
とても大切な時間を刻ませていただく
 
 今回もまさしくそのような機会を得た。
 
 
 
 
 ヒゲ先生の古くからのご友人で、良きお話し相手でもあったその先生は
  
ヒゲ先生のことを「藤原先生」とか「ヒゲ先生」とか呼ばれるほか 
 
親しみを込めて「あのヒゲさん」とよく呼ばれる。
 
「あの」に特別の感情がこもっているように僕には感じられる。 
 
 
 
 「あのヒゲさんを、木の机が並ぶかつての実験室にお訪ねした40年程以前、 
 
壁の棚にはたくさんの顕微鏡が並べられていましてなあ…
 
 僕が、『ところで藤原先生はどの顕微鏡を使われるのですか?』とお尋ねすると、
 
ヒゲさんは『生徒たちのと同じものですが?』と不思議そうにおっしゃる。
 
 あの頃、学校の先生は生徒たちより上等で性能の優れた顕微鏡を使っていて、
 
子どもたちが『うまく見えません。』と言うと、
 
『じゃあ、先生のを見せてあげるからこちらに来なさい。』
 
というのが当たり前だった。
 
 しかしヒゲさんは違っていた。全てにおいて子どもたちと同じものを区別なく使っておられた。
 
 その上驚いたことに、その顕微鏡の1台1台がたいへん性能の優れた高価な代物ばかりだった。
 
 安いものをたくさん買うことは出来ても、高価なものをたくさん揃えるのには覚悟が必要だ。

ヒゲさんはそれをちゃんと実行しておられた。
 
 
 藤原先生曰く
 
『子どもにこそ本物を与えないと意味がない。子ども騙しでは通用しない。
 
本物を与えるからこそ、本物の《発見の喜び》を味わわせることができるんです。』とね…
 
 
 この先生は他の方とは『違う』と強く感じました…。」と静かに話されました。 
 
 
 
 
 また師は、ご自分が小学校低学年に学校で受けた詩の授業について、
 
「教室で教科書を開き、初めてその詩を読んだときの感動や頭に思い浮かべた情景を、
 
今でもよく覚えている。」とその一節を暗唱されたあと、次のような話しを加えられました。
 
 
  
 「藤原先生が、学校の教科書を使って塾の授業をしておられた頃、
 
『君は今学校で何ページを習っているのだね?』と子どもたち一人ひとりに確認された。
 
その質問に、ある子は『32ページ』別の子は『35ページ』とか『37ページ』とか答える。
 
 全員に確かめた後で、『じゃあ30ページを開けなさい。』と、ヒゲさんは子どもたちに言ったそうだ。
 
 皆が既に学校で習い終えた範囲をもう一度じっくり勉強し直そうというのだ。
 
 
 塾というところは往々にして、「学校で35ページまで進んでいる。」と誰かが言ったら、
 
「じゃあ40ページから始めます。」というところが多い。少しでも先先を教えようとする。
 
 保護者にもそれを求める意見が多いからだろう…。
 
 
 しかしそうしてしまうと、子どもたちから大切なものを奪うことになる。
 
それは、「学校で初めて習ったとき、だけに得られる新鮮さや感銘、そこから生まれる意欲」のことだ。
 
 もし先に塾で勉強させていたならば、子どもたちは
 
「ああ、それもう知ってる。」「もう塾でやった。」と言い出し、学校での勉強に身が入らないだろう…。
 
 ヒゲさんはそんなことを憂慮されていた。
 
 
 初めて出会ったことに向けられる「発見の喜び」や「好奇心」を、学校の子どもたちから奪うようなことがあっ

てはいけない。
 
 些細なことでも学校の先生と子どもたちとの信頼関係を損なうべきでない…
 
 
 ヒゲさんは、子どもたちにとって『学校での学び』が何より大切だと考える塾人だった。
 
分をわきまえ、周りの人全てを大切にする先生だった。立派な方でしたな…
 
 
 
 僕は人とお話しするときは決まって、『塾なんて要らない。』と言います。
 
ただし、たった一つだけ例外がある、と言ってヒゲさんのことを話すのです…。
 
 
 
 効率的にものを教え込むことのみを良しとせず、むしろ無駄だと思われること、
 
遠回りだと思われることに一所懸命になっている「偉大な教育バカが居る…」と。
 
 
 
「あのヒゲさんの築いた『塾らしからぬ塾』を、後を引き継ぐあなた方にも大切にして欲しいものですなあ…」
 
 
師は、穏やかな表情の奥から、熱いエールをくださった。



2011/08/18 00:10 | Comments(0) | TrackBack() | 森山's Honey Bucket
「水晶山」報告
森山’s Honey Bucket 91 
 
 実験学校2日目は早朝より暑かった。
 
今回のメインイベント「水晶山で水晶を探そう!」の開催日だ。
 
 各6~9人、全9チームのそれぞれに担当の先生が付き、用意万端いざ出発!
 
 
 バスに揺られること40分間。その後アスレチック感覚で、山の斜面を登ること15分。
 
おそらく地元の人しか知らないだろうポイントに到着。
 
 担当の先生から約束ごとの確認を受け、開幕を告げるゴングが鳴った。
 
 
 開始早々、低学年の男の子が「あった!」と叫ぶ。
 
見れば、小さいながら紛れもない水晶の結晶だ。
 
 僕自身も綺麗な結晶を発見するぞ!と意気込んでいたが、なんのなんの…
 
開始後約1時間途切れることなく列をなして、
 
「先生、これ水晶?」と確認する子どもたちの対応に当たらねばならなかった。
 
 
 中には、我々が下見で見つけることのできなかったくらい美しく立派な結晶を発見する子もあった。
 
 「わあー、すごいぞ○○君!きれいな水晶だ!」と僕が感嘆の声を上げると、
瞬く間にその子は多数の仲間たちに囲まれ、「見せて。」「わあ、すごい。」「うらやましい。」などと時の人となる。
 
 兎にも角にも、皆一所懸命水晶を探してくれた。
 
 
 印象的だったのは、小5の男の子、
 
「先生お願い…嘘でもいいから『これ水晶だ。』と言って。」と手を合わせて頼んできた。
 
 なんと可愛いことだろう。なんと健気なことだろう。
 
(残念ながらそうは言ってあげられなかったのだけど…ごめん。)
 
 
 大きなものでも小指の爪ほど、多くはマッチの軸薬か小さい目の錠剤程の小粒なものだったけれど、ほとんどの子たちが自分の宝物をその手で見つけ出した。
 
 
 炎天下、しんどくなる子も倒れる子も出ず無事大行事を終えることができたことを、
天の神様と、支えてくれた若手スタッフの皆さんに感謝したい。
 



2011/08/11 00:30 | Comments(0) | TrackBack() | 森山's Honey Bucket
水晶探し
森山’s Honey Bucket 90
 
 
 この夏の実験学校の屋外活動で、子どもたちを「水晶探し」に連れて行く。
 
 
 小豆島は花崗岩が隆起して出来たと言われる。
 
 大阪城築城の折り、島からたくさんの巨石が運ばれたのは有名な史実だし、
 
「星くずの村」にも、築城残石なるものが庭石としてそびえている。
 
 花崗岩といえば「石英」(二酸化ケイ素)を多く含む。
「水晶」と「石英」は同じ組成、いわば兄弟だ。
 
 
 しかし、小豆島が水晶で有名だったとは知らなかった。
 
 またなんと、島の北東部(福田地区)には、
かつて「水晶山」と地元の方が親しみを込めて呼んだ山があると言うではないか…
 
 
 そこで、下見を兼ねて「水晶探し」に行って来た。(3回)
 
 
 
 下見の感想…
 
 
 
 「めっちゃ楽しかった。」
 
 「俄然、必死になることができた!」
 
 
 結晶の大きさは極小のものばかり…
 
 今まで目にしたり、手にしたり、気に入って購入したりしてきた水晶と比べ、その大きさは呆れるばかりに小さいものばかりだった。
 
 
 しかし、いかに小さくても、
 
 あの独特の六角柱の形状… 
 あの透明感とキラリとした輝き…
 
 それらを目の当たりにすると、胸の高鳴りを抑えることはできなかった。
 
 地べたに這いつくばりながら、時が経つのを忘れて、結晶を探した。
 
 
 ああ…また我人生において幸福な時間を過ごすことが出来た。
 
 8月7日、「水晶探し」の日がどうか晴れますように…


(写真は下見の時に皆で集めた可愛い水晶の結晶の一つです。)
 aa88105d.jpeg  
  










 

2011/08/04 00:10 | Comments(0) | TrackBack() | 森山's Honey Bucket
自分再発見

森山’s Honey Bucket 89
 

 fb7798b6.jpeg


 生まれて初めて「写仏」を経験した。

 

「写経」はよく耳にするが、「写仏」は聞くのも初めてだった。

 

 原画となる観音様の絵に半紙を重ね、筆ペンでそれをなぞっていく…

 

 

 干支ごとに写仏する観音様が異なるのだが、

 

「同じ観音様を写しても、二人として決して同じお姿にはならない。」

 

「不思議と描いた人に似る。」

 

「ふと、我を忘れる。」

 

など、お世話してくださる方のお話を聴き、

 

いざ、筆を取った。

 

 

 

 

「そろそろ、法要が始まりますので…」

 

「えっ?もうそんなに時間が経ったのですか?」

 

思わずその声を聞いた我が耳と、柱時計を見やった我が目を疑った。

 

 

 

これほどまでに時間を短く感じたことがかつてあっただろうか…

 

 

いや、無いことは無い。

 

おそらくはあったはずだ。

 

しかしそれは、大好きで大好きでたまらない何事かを、

 

ずっとずっと待ちわびて、やっと経験できた…

 

そんな時に限られていたはずだ。

 

 

 

仏様を写す。

 

失礼ながら、ずっと楽しみにし、待ちわびた…ことではない。

 

 

 

一所懸命に、ただひたすら打ち込んだ。

 

我を忘れた。

 

 

ただそう出来たことで、自分の中の大きな「集中力」を呼び覚ましてもらえた気がした。

 

 

自分を前向きにしてくれる材料は、

 

存外身近で出番を待ってくれているのかも知れない。


2011/07/28 00:10 | Comments(0) | TrackBack() | 森山's Honey Bucket

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