ワクワクの土曜日担当、池畑ことあっくんです☆
本日も僕のヒトリゴトにお付き合い下さい♪
この前の日曜日、以前の讃岐うどんツアーのメンバーで宝塚にある手塚治虫記念館に行ってきました。
といっても、元々そこが目的地だったわけではないのです。
本当は前々から予定していた天橋立に行くつもりでした。
が、先週日曜日といえばあの台風12号が日本列島を離れた直後。
天気予報を見ると天橋立付近はそんなに天候が崩れなさそうなので強行することにして朝から出発。
出発時には天気も穏やかだったので、これは行けると思いながら車を走らせました。
ちょっと走っていると凄まじい豪雨。
数十メートル先が見えないほどです。
すると案の定、宝塚から先は道路が封鎖されてしまってました。
しかし、楽しむことにかけてはあきらめの悪い4人です。
転んでもただでは起きません。
早速代案を練り、近場で行ける手塚治虫記念館に行くことになったというわけです。
記念館の中はもちろん手塚治虫の情報が満載で、一つ一つ丁寧に見て回ると丸一日いることができそうでした。
その中でもやはり大きな部分を占めるのが、手塚治虫の生涯を著したコーナーです。
そこには彼が幼少の頃に描いた絵も展示されているのですが、小学校低学年の時点ですでに上手な絵を描いています。
そんな絵を見ながら友人と、
「小2でこんな絵が描けるなんてスゴいな~。」
「やっぱり才能があったんやね~。」
なんて話をしていました。
才能?
家に帰ってから妙にその言葉が引っかかります。
手塚治虫は絵を描くことが小さな頃から本当に好きだったようです。
ということはあの展示されていた絵を描くまでにきっと何十枚も何百枚も描いたであろうことは想像に難くありませんよね。
それを「才能」って一言の言葉で済ませてしまうのって何か違うなと。
例えば僕が中1の頃。
初めて勉強し始めた英語の単語を覚えるのに、最初のうちは紙に書きまくりました。
そして単語カードを作ってみたり、自分でテストをしてみたり、段々と工夫をするようになります。
そんな甲斐もあって見事、単語テストでは満点をとることができました。
そんな僕の答案を見ていた友人が、
「いいよなぁ、池畑は単語を覚える才能があって。」
って言ったら当時の僕はどう思ったのでしょうか。
「ちょっと待てぃ!」
「才能じゃないって。めっちゃ練習したんやって。」
って思ったハズです。
上手くいってない人ほど、上手くいくために必要なものを「才能」という言葉で片付けてしまうことがあります。
その舞台裏を見ようとせずに。
そして残念ながら「才能」を理由にしてしまうと何もできなくなってしまいます。
では、上手くいく人は上手くいく理由を何だと考えているのでしょうか。
多くの成幸者は、その理由を尋ねられたときにこう答えています。
「いや、上手くいくまで続けてきただけだよ。」
って。
そう、上手くいく人は、
「継続」
をその理由として考えているようです。
まぁ、もしも天が手塚治虫に何かしらの才能を与えたとするならば、
それは「誰よりも絵を好きになること」なのかもしれませんね。
好きだから継続し、
継続するから成幸する。
スタッフは、ボートだしや、エリアチェック等前準備をしています。
連日35℃が続いた夏なのに、
どうしたわけか、
この日の気温は二十度前半!
写真は、寒いというY先生を、S先生が全身で暖めてあげようという、
心温まる、すばらしくも、気色悪い(w)ワンシーンです。
毎年、日焼け止めを大量に塗りたくって、
やれ、飲み水だ、サングラスだ、麦藁帽子だと、
大騒ぎで準備するのですが、今年は、汗すらかきません。
こんなに、COOOOLな夏の海は
過去、一度も体験したことがありません。
写真は、色等ノーレタッチなのですが、特別な
「涼」カラーの絵の具だけで描いた絵のようです。
本来は真夏が似合う華やかな花も、葉の緑も、
さすがに、この気温には、動揺している感じがしました。
夏休みが終わり新学期がスタートした。
と思ったら台風12号のためいきなり休校になった。
暴風警報が出ている割には雨風も強くない。
ジュニアサイエンスに通ってくれている小1の保護者の方から
「先生、今日は本当に実験はないのですか。風も強くないし、
子どもが行きたいと強く言うので、連絡は受けていましたが問い合わせてみました。」
との電話があった。
そんなにも期待してくれている子どもがいるというのは、大変嬉しいし、励みにもなる。
子どもたちにとって理科実験は、不思議にあふれた、興味津々のものなのだろう。
「石のスープ」という話がある。
3人の疲れた兵士が、ある村にたどり着く。
村人たちはケチなので食べ物を隠す。
兵士たちは村人に食べ物を分けてくれないかと頼むが誰も与えるものはない。
「それでは、仕方がない」と言い、3人は、鍋を借り石と水をいれてグラグラと煮立てる。
「石のスープ」を作るという兵士に興味をもった村人が鍋のまわりに集まってくる。
「ああ、塩とコショウがあればなあ・・・」と兵士がつぶやくと、
打ち解けてきたある村人が、それらを持ってくる。
「にんじんがあれば・・・」「ジャガイモがあれば・・・」と言うと、
次々と鍋の中身が充実してくる。
最後にはミルクと肉が加わり、村人と一緒に分け合い、大いに盛り上がり、
「こんなおいしいスープが石から出来るなんて信じられない!」と村人は大喜びする。
夜更けまで飲んで踊っての楽しい一夜になる。
というものだ。
いろんな解釈の仕方があると思うのだが、こんな「石のスープ」みたいな授業ができたらいいなと思ってしまう。
子どもたちがこちらの言ったことに興味を持ち、次々に授業が展開していき、
最後はみんな大喜びする。
いかに授業を導入し、子どもたちをいきいきと活動させるのか。
「石のスープ」
こんな発想を持って、子どもたちと向き合っていきたいものである。
ではまた。