森山’s Honey Bucket 28
上本町校9階の玄関扉に下のような記録があります。
毎月11日前後は54期生Fさんの身長測定日。
彼女が中1の9月、ふとしたきっかけで始まりました。
柱の傷ならぬ扉に刻む成長の記録です。
とても小さく可愛いかった中1の彼女、記録「136cmなり」からスタートです。
昨日分まで、ほぼ欠かさず31ヶ月記録してきたことになります。
彼女が結婚するまで続けよう!と約束しています。
昨日分まで、ほぼ欠かさず31ヶ月記録してきたことになります。
彼女が結婚するまで続けよう!と約束しています。
今月も11日に訪ねてくれたらしいのですが、
「先生授業中で熱弁ふるってたから、邪魔したらあかんと思ってそのまま帰った…」とさすが女子高校生らしい細やかな気遣いをしてくれたようで、一日順延で今日出直してきてくれました。
「先生授業中で熱弁ふるってたから、邪魔したらあかんと思ってそのまま帰った…」とさすが女子高校生らしい細やかな気遣いをしてくれたようで、一日順延で今日出直してきてくれました。
僕 「よし測ろう!」といつもの教師用三角定規とマジックペンを持って構えました。
ところが大変!
前回4月11日の記録からほんの少しの変化(伸び)もありません。
僕 「ちゃんと背中伸ばしや!もう一回測ろう。」
Fさん 「朝から重い鞄を持って長い時間電車通学しだしたからかなあ…」
僕 「うーん、やっぱりあかんなあ。」
Fさん 「わたし…もう身長伸びへんのやろか…??」
僕 「そうかも知れへんぞ。もしそうなったら印の線は真横に伸ばしていこう。」
なんて笑いながら、何事も正直が一番と、前の記録と同じ位置に印を打ちました。
Fさん 「朝から重い鞄を持って長い時間電車通学しだしたからかなあ…」
僕 「うーん、やっぱりあかんなあ。」
Fさん 「わたし…もう身長伸びへんのやろか…??」
僕 「そうかも知れへんぞ。もしそうなったら印の線は真横に伸ばしていこう。」
なんて笑いながら、何事も正直が一番と、前の記録と同じ位置に印を打ちました。
測定後、友達がたくさんできて高校生活がとても楽しく充実していること・授業のこと・
クラブ活動のこと・早寝早起きになったことなどなど、素敵な報告をいっぱい聞かせてもらいました。
クラブ活動のこと・早寝早起きになったことなどなど、素敵な報告をいっぱい聞かせてもらいました。
別れ際、何気なくこんなことを尋ねてみました…
僕 「行き帰りの通学で迷子になったり、怖い目に遭ったりしてないね?」
Fさん 「やっと迷わず行けるようになった。そういえば、こないだとても怖い目に遭った…」
僕 「えっ!」
Fさん 「電車で隣にヤ○ザのお兄さんが座った。」
僕 「うん、ほんで?」
Fさん 「どきどきしてたら、その人カバンからゴソゴソ何か取り出した。」
僕 「えっ、まさかピストル?
Fさん 「カタログやった。それも肩や背中に彫る刺青のカタログ。
いっぱい刺青ばっかり載ってた。
あんなんはじめて見た。怖かった。」
いっぱい刺青ばっかり載ってた。
あんなんはじめて見た。怖かった。」
そのカタログを横目でチラ見しているFさんの勇気をちょっと思い吹き出しながら、再会を約束して別れた。
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森山’s Honey Bucket 27
ゴールデンウィークに家内と義母との3人で
富士山を訪ねた。幸い天気にも恵まれ大好き
な富士山の景色を堪能することができた。
忍野八海は富士山の伏流水が湧き出す名
二日目に足を延ばした西伊豆方面は一転
半袖でも汗ばむ陽気。恋人岬なる名所ではさ
らに周りの若いカップルの発する熱エネルギ
ーがさらに気温を押し上げていた。
ーがさらに気温を押し上げていた。
旅行中に、ほぼ360°全方角からの富士の
撮った写真はだれかに見てもらいたくなるも
のですね。 無理矢理で申し訳ありませんが付
き合ってください。(この文章敬体)
何枚かの写真に映っている「大きな鼻くそ」
のようなものは、レンズ交換時に入ってしまった
ゴミのようだ。
クリーニングミラーアップなる操作をまったく
知らなかったため実力では除去不能で、約3分
の2の写真が鼻くそつきという残念な結果にな
ってしまった。撮り帰ってパソコンで見るまで、
鼻くそがかくも大きくかくも目立つとは思ってい
なかった。
クリーニングミラーアップなる操作をまったく
知らなかったため実力では除去不能で、約3分
の2の写真が鼻くそつきという残念な結果にな
ってしまった。撮り帰ってパソコンで見るまで、
鼻くそがかくも大きくかくも目立つとは思ってい
なかった。
トホホ・・・もっと早くカメラの持ち主である息子
森山’s Honey Bucket 26
ぼくが幼稚園に通う前から、我が家にはほぼずっと犬がいる。
ジョン・チェス・シロ・ポニー・チュ・イーヤンそしてリリーと翔。
ジョン・チェス・シロ・ポニー・チュ・イーヤンそしてリリーと翔。
血統書付きのもいたけれど、そのほとんどは雑種。雨の日の道ばたで鳴く捨て犬を父が拾ってきたり、「もらってやっていただけますか?」との看板を見てもらってきたり。リリーと翔だけが現役で他はすでに天国に召されている。でもどの子もわりあい長生きしてくれた。それぞけの犬とはいっぱいの想い出がある。
さて、今いる2匹のうちの1匹リリーは、息子が小学校に上がったばかり娘は幼稚園に通い始めたばかり、といった頃うちにやってきた。森山リリーとなってかれこれ15年ということになる。
「家族そろってローラーブレードをするのだ!」とハッスルした僕が、3人分のローラーブレードと1つのローラースケート(娘には合うサイズがなかった)・子供用だけヘルメットとプロテクターを買って意気揚々久宝寺緑地に行った。
こ一時間練習しているのに家族の誰もが上手く前へ進めない・曲がれない状態で、母さんには「お父さんがすぐ調子に乗って買ってくるからこんな羽目になる…」とブツブツ言われていたそんなとき。
植え込みのところに段ボール箱があって小さな子たちがそれを間近から取り囲んでいるのを発見した。
覗きこむと、生後まだ日の浅い仔犬たち…。特別可愛い一匹は小学校34年生らしい女の子が抱きかかえていた。この女の子が連れて帰るならしかたないなあ…でもうちの家族に加えるならこの仔犬だなあ…などと思っていたら、その女の子は別の犬に取り替えた。
では、とばかり今度は僕が特別可愛いその仔犬を抱き上げ、お○○○○が付いていることを確かめた。(放し飼いも半ば黙認?されていた僕の子ども時代、メス犬はよくお腹を膨らませると聞いていたので、我が家で飼うのはたいていオス犬ということになっていた。)
ローラブレードそっちのけ、仔犬を抱き、興奮して帰宅。犬育てのベテランである父は一目見るなり「この子メスやで…。」。とんだ僕の勘違い、○○と見えたのはお腹の毛がよじれだだけのものだった。
「リリー」 可愛いメスの仔犬は娘が名付け親になった。
あれからいっぱいの時間が流れた…
子どもたちの成長の傍らいつもリリーはよき家族の一員だった。
JR宝塚線(福知山線)の生瀬駅から武田尾駅に続く廃線跡(武庫川渓谷廃線跡)を家内と歩いた。
昭和61年の複線電化に伴い別に新軌道が開設されたため、従来の軌道が廃線となった。
廃線跡を歩きながら四季の景観を楽しむことができると、近年多くのハイカーが訪れるようになったと聞く。
人の頭ばかり見る散策は避けたかったので、朝早い時刻の電車を選んだ。
途中JR尼崎を過ぎた脱線事故現場付近で、無念のうちに命を亡くした方々のご冥福を祈った。
そういえばたしかあれは4月の半ばだった…。
そういえばたしかあれは4月の半ばだった…。
8時過ぎ生瀬駅着。よく晴れた日曜日の空に感謝しながら、地図とメモを片手に廃線路跡への
進入路を探す。どなたかにホームページで指南いただいた甲斐があり、迷うことなく入り口に到着。
終点武田尾温泉を目指して約7キロのハイキングの始まりとなった。
進入路を探す。どなたかにホームページで指南いただいた甲斐があり、迷うことなく入り口に到着。
終点武田尾温泉を目指して約7キロのハイキングの始まりとなった。
レールこそ撤去されてはいるがコースの殆どに枕木が残り、時折トンネルをくぐり鉄橋を越えることのできるこの廃線跡は、巨岩と清流の武庫川渓谷を縫うように進むたいへん美しくかつ味わい深いところだ。
自然の中にあり、どこか郷愁を感じるこの雰囲気は、一つ東隣の宝塚駅周辺に林立する高層住宅群や山の斜面を限界まで削って造営した戸建て住宅群とはまるで異次元である。
たしかに都会の良さも捨て難いが、時にはこんな場所での深呼吸が必要だ。
たしかに都会の良さも捨て難いが、時にはこんな場所での深呼吸が必要だ。
何度か「千と千尋の神隠し」を思い出した。
コース中、特に印象深かったのはトンネル跡だ。長いものは300m~400mもあろうトンネルに
入りしばらくすると、入口からも出口からも明かりがまったく届かない暗闇になる。懐中電灯の明
かりを頼りに小刻みな歩幅で歩かざるをえない。トンネル内に滴る水の音が小さく反響を生んで
なんとも素敵でかつ恐ろしげな世界であった。
家内は一人早足で前へ前へと歩みを進めている。後で訳を尋ねると、暗くて怖くて貧血を起こし
そうだったから…とか。普段は怖いものなど何もない!といった勢いなのに…。(笑)
入りしばらくすると、入口からも出口からも明かりがまったく届かない暗闇になる。懐中電灯の明
かりを頼りに小刻みな歩幅で歩かざるをえない。トンネル内に滴る水の音が小さく反響を生んで
なんとも素敵でかつ恐ろしげな世界であった。
家内は一人早足で前へ前へと歩みを進めている。後で訳を尋ねると、暗くて怖くて貧血を起こし
そうだったから…とか。普段は怖いものなど何もない!といった勢いなのに…。(笑)
渓谷の山肌のヤマザクラ、沿道のオオシマザクラ、ホトケノザなどの雑草の小さな花々も、ここへ足を運んでよかったと思わせるものだった。
よく歩いたことへのご褒美に…と、武田尾温泉で日帰り入浴1,000円也を奮発。
森山’s Honey Bucket 24
僕は小学4年生になった春、藤原学園に入学しました。
今から40年も前になります。
学園の4年生としての経験のうち強烈な思い出となっているのが次の3つです。
①初めて行った小豆島夏合宿、人生初のテント宿泊で、カミキリムシに背中を噛まれたこと。
②お豆腐作りが楽しくて楽しくて、ご飯のおかわりを5杯もしたこと。
③社会科の時間にうんと恥ずかしく悔しい思いをしたこと。
今日はその三つ目のお話を書かせていただきます。
如先生(ヒゲ先生の弟先生)が、クラスの皆に
「みんな世界で一番大きな湖はなんというか知ってますか?」と尋ねられました。
今思えば、きっと先生は「そんなの知らない…。」という子どもたちに、自分たちで索引を引かせ地図を調べさせながら、世界のスケールを確かめさせたかったのでしょう。もちろん当時の僕はそんな先生の意図など微塵もわかりません。
前の年、近所の遊び仲間「ゆうちゃん」のおっちゃんに連れて行ってもらった海のような湖「びわ湖」が頭に浮かんだ僕は、誰よりも先に正解を発表し英雄になるべく「ハイハイハイハイ!!!!」たいそう元気よい声(うるさい声)で当ててもらえるようにアピールしました。
「はい、じゃあ森山君。」先生に当てられた僕は、得意げに起立して自信満々「びわ湖!」と叫びました。
「君はあわてものだなあ…。先生が尋ねたのは世界一の湖だぞ。」
如先生はにっこりあきれ顔でそうおしゃいました。
先生の言葉と同時にクラス中から大きな笑いがおこりました。
僕には一瞬何が起こったのかわかりません。先生のおっしゃるように、問い掛けをちゃんと聞いていなかったわけでも、あわてていたわけでもありませんでした。自信を持って答えた「びわ湖」だったのですから。
でも皆は笑っていました。とても恥ずかしい状況に自分はいるのだ、そのことだけを感じていました。
しかし事態はそれだけでは済みませんでした。
先生はもう一度先ほどと同じ質問を皆に投げかけられました。
そのとき僕の斜め左後ろにすわっていた吉川君が小さな声で「はい。」と言いました。
反射的に振り返ったぼくは、彼がたいへん落ち着いて手を挙げていることがわかりました。
彼の姿勢はよく、手はまっすぐに挙げられていましたし、何より「はい。」を連呼することはありませんでした。
如先生が「ほう、では吉川君。」と指名されたとき、
彼は「はい。カスピ海です。」と静かにでもどこか堂々と答えました。
もちろん僕には聞いたことも何もない名前です。
「偉い!!吉川君。よく知っているね!!」先生は絶賛されました。大絶賛でした。
「へー。」「すごい。」「かしこ~い。」10人を少し超えるくらい生徒がいた教室は、たちまち皆が口にする吉川君への褒め言葉で満たされました。
くやしくて、くやしくて。
誰一人「吉川君は森山と比べて偉い」とか「森山と比べて物知りだ」とか言ったわけではありません。「森山はアホや」と声が聞こえてきたわけでもありません。
如先生もクラスの皆もただ「吉川君がすごい」と認めていただけなのです。
だけれども、くやしかった…
このことがきっかけになって僕は毎日のように「地図を見る子」になりました。そのうち地図を使った作業中心の学園の社会科の授業が面白くなり、いつごろからか地図ばかりではなく、社会科全体への興味が増していきました。興味を持ったからこそ熱心に取り組んだと思います。
小学校高学年~中学時代~高校そして大学受験、大学での研究。社会科という学問は自分を支える芯柱のようになりました。
新年度の授業もいよいよ本格スタートしました。
学園で得られた体験が、やがてその子その子の貴重な支えとなっていくことを夢に描いて、
可愛い子たちと日々を過ごして行きたいと思います。