ぼくは桜が大好きです。
ひょっとするとこの国の人たちのDNAにはそれが共通の情報として刷り込まれているのか?と思えるほど、その日の大川沿いは桜見物の人たちでごったがえしていました。
「今年もまた桜を見ることができた。神様やあんたらに感謝してる・・・。さて来年は見れるかしら…」という母親の言葉に
「何言うてるん。そんなん見られるに決まってる。」と返事をしつつ、
「どうかどうか次の春もそろって桜が見られますように・・・。」と神様に願っている僕です。
今年は大川沿いをしばし歩き、足腰に爆弾の抱える母親と水都大阪の誇るアクアライナーに乗って水上からも桜並木を堪能しました。 ほんとうに綺麗でした。
題名は上から
漁村の風景 古都の道 森山商会 冬の寺 当麻寺 塔遠望
森山’s Honey Bucket 21
中学生になったら憧れのテニスを始めよう、そう思っていた。
しかし僕が通うことになった精華中学にはテニス部がなかった。
(春休みに引越しをし、新天地で迎える中学。知らないことだらけだった。)
ならば…と覗いた剣道部は部室のあまりの悪臭に、もう一度ここを訪ねる気が失せた。
(僕の鼻は臭いものにたいそう敏感だった。当時は…)
次に野球部。監督の加藤先生のノックを受ける先輩や同輩の姿が格好よかった。
気持ちは決した。しかし、五分刈りのグリグリ頭をした自分を想像するのは悲しかった。
散髪屋さんのバリカンは一撃で坊ちゃん刈りだった僕の人相を変えた。
散髪屋のおじさんはまず、僕の頭のど真ん中に幅5cm程の鮮やかなバリカンラインを描いた。
まさにその直後、とびらの向こうの部屋から奥さんらしい人の声がし、呼ばれるままに店主はバリカンを置いて部屋に消えた。あろうことか店主は夕食を取り始めたようだ、お客様である僕を放置して…。
その間、取り残された僕は目の前の鏡に映る自分をただ呆然と眺めていた。そこには頭を完璧に分断する滑走路にも似たバリカン跡が前から天辺を経由してうしろのほうまで1周していた。
ちょっと泣きそうになった。
やがて「ごめんごめん。」と出てきたおじさんは、今食べ終えたばかりの夕食の香りをたくさん撒き散らしながら、しかし手際よく僕の頭をグリグリに丸めてくれた。
「はいできあがり。」僕の頭を撫でながらおじさんは言った。
それはそれでいい時代だったのかも?
ちょっと好きだったSさんの家の前を全力で走り抜け、家に向かった。
どうして僕は高校の美術部で油絵に夢中になったのか…
そんなことをブログに記そうと思いつつパソコンの前に座ったつもりが、なぜだか「計画変更!」こんなことになってしまった。
公立高校入試の朝、中3生が少しでも平静に受験に臨めるように…と正門前で合格祈願の「力餅」を渡して激励の声を掛ける。
昨日の朝日新聞朝刊『天声人語』に、自分の想いも重なり感慨深かった。
小学校1年の男の子が書いた短い詩
〈ようちえん/にゅうえんしきで/ぼくがなき/そつえんしきで/ママがなく〉
の紹介のあと
卒園式で歌われることの多い「思い出のアルバム」
〈いつのことだか/おもいだしてごらん…〉が生まれた経緯、
そして、卒園式・卒業式が子どもの新たな旅立ちであると同時に
泣き笑いを重ねて迎える親子の一区切りであり、
親自身の成長の節目でもある…とあった。
我が家の長男、毎日のように、この企業の説明会、あの企業の面接、と走り回っている。
就職難のこの時期、うちの息子を必要だと言ってくださるところがはたしてあってくれるのか…
幼稚園の卒園式で大きな声を出して一所懸命〈いつのことだか おもいだしてごらん…〉と歌っていた息子。
その成長に感謝しつつ、今の息子にエールをおくりつづけたい。