森山’s Honey Bucket 18
「先生…○○やけど…。
あかんかった。うん、不合格やった…。
だいたい予想しとった。
…元気やで。つぎに向けて頑張る。」
彼の声の後ろに電車がガードを走る音が聞こえる。
合格発表からの帰り道にちがいない。
きっと目の前が真っ白になっただろう。
心臓は激しく鼓動したことだろう。
その場にしゃがみこんでしまうほどの脱力感が心を覆っていただろう。
涙が頬をつたったかかしれない。
しかしおそく彼は
少しの時間をあけ
明るい声を出す準備を整えてから
報告の電話をしてきてくれたのだ。
成績も内申も合格するための力を彼は持っていた。
しっかり合格を手にしてくれるはずだった。
しかし当日得意の数学でまさかの苦戦を余儀なくされたようだ。
受験には魔物が潜む、とよく言われる。
彼もまたその魔物に襲われた一人だったのだろうか?
しかしその日、他の誰よりも早く彼は教室の自習ブースに現れた。
後期入試に向けた勉強を始めるために…
「なあ○○君、君はその心に描いた夢を一度ボロボロに破壊されてしまった。
でもここから歩みだす次の新しい一歩が、どうか君にとっての最良の道となり、
これこそが素敵な人生だったと、自信と喜びをもって振り返ることのできる3年間にして
ほしい。先生からのお願いです。」
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森山’s Honey Bucket 17
ずっと我慢してきた痛止め薬をナースコールで頼んだ。右下腹の傷の痛みそれ自体ではなく、からんだ痰を排泄するためにする咳の響きが、たまらなく傷に堪える。経験された方はお判りだろう。鎮痛剤服用の頻度を下げるべく耐えてきたが、ついにギブアップ。先程から効果がでてきた。
先週金曜19日の昼過ぎから、お腹にシクシク痛みが始まった。台風本体はまだ南の海洋遠くにあるのに、突然強い風が吹き軒下のバケツが音をたてて転がっていく・・・。そんな感じに、今回の騒ぎはスタートした。
金曜夜 授業を終えた中3生をなんとか送り出し、残務もそこそこに家路に。激しくなる腹痛に冷や汗を流しながらハンドルを握る。声も出せず帰宅。まずは腹を温めるべし、と熱いめの湯船でしっかり腹をさすり、その後もストーブの前に直行。少し楽になった・・と思ったのも束の間、やはりそれはまたやってきた。鎮痛剤の効果も薄く、唸り続けることに。体に何が起こったのか?命に心配はないのか?
尿路結石2回、通風発作2回、今回の痛みの質は前者に近い。程度は今回もひどい。経験から結石は背中。今回は腹。
かかりつけの医院の開院の時刻まで、時計の針の動きはいつもより遥かに遅い。もう待てない。が、ご近所の手前、救急車をお願いするのは避けたい。
結局、電話で確認してもらい、家内の運転する車の後部座席でネコのように体を丸め連れて行ってもらったのは、某病院の緊急外来。土曜午前6時という時刻にもかかわらず、血液検査・胸部レントゲン、ややしてMRIと胸部レントゲン。
「炎症反応の値・白血球数・画像から、どうやら虫垂炎です。虫垂の根元に糞石の固まりがあり、その先端がかなり炎症を起こしていると思われる。破れていないと思うが、それは開腹してみないと分からない。腹膜炎に繋がる危険性を考えるとすぐに手術するのが得策だと思う。」
若い先生方の診断と説得力あるお話。痛みの原因を特定いただいた安心感。ぼくは緊急手術を決断し、お願いした。
執刀医から術前の丁寧な説明をいただいた。特に印象深かったのは、
「あなたの皮下脂肪は相当にぶ厚い。従って大きく深く切らなければならない必要がある。理解できますね・・・」
の部分だった。
まな板の鯉となったぼくは、瞬時に全身麻酔が完了したようで、
「手術終わりましたよ!」
と起こされるまでの2時間がまさに一瞬のことのようであった。(しかしそれでも確かに学園の夢を見てた。夢の途中で起こされたのだから・・・)
ぼくは今回の入院で、本来自分がするべきたくさんの仕事を他の先生方に替わっていただかなくてはならないことになった。
土曜理科実験から退院に至るまでのすべての授業。高専の力餅配り。前期試験激励会、数え上げればきりがない。第一 入試本番の朝だってぼくは病院だったのだから。
しかし、そのひとつひとつを学園の先生方・助手の方々が本当に心をこめて、丁寧にフォローしてくださっている。
また中3生諸君からは、入試前には「自らの健闘を誓う力強い約束」を寄せ書きにして、入試後には「テストの出来映え報告、中には勝利宣言??」を個々のメッセージとして、
「頑張れ」
「早く良くなって戻って来~い!」
の言葉も付け加えることを忘れず届けてくれた。
「何もすることなくダラダラ寝てるだけでまた太ったんちゃうか?」
と心配してくれたN君。
「そんなことなかったんやぞ!」
をきっぱり証明するためにも、入院太りせず、NEW SLIM MORIYAMA (略してNSMM)として、できるだけ早く戻らせてもらいます。
(ちなみにネット使えない病院ゆえ、本ブログ掲載にあたっては、またまたあっ君にお世話になりました。)
森山’s Honey Bucket 16
「働くことの大切さ」についてあなたの考えを述べなさいという題の高校入試小論文を添削するとこになった。添削に取り掛かる前に、「働く」とはどういうことなのか、自分なりに整理してみることにした。
「働くことの大切さ」についてあなたの考えを述べなさいという題の高校入試小論文を添削するとこになった。添削に取り掛かる前に、「働く」とはどういうことなのか、自分なりに整理してみることにした。
「働く」ことは(それ自体が収益に繋がるとか繋がらないとかいうこととは全く別次元で)、他者に何かを「働きかける」ことが出発点となる行為であると思う。
また、「働く」ことから得られる満足というのは、
①自分の行為を受けとめた他者がより良い状態に変化したことを確かめられたとき
②働きかけられた者が、自分が得たものの幾らかの部分が、その「働きかけ」によってもたらされたと認識し、行為者と喜びを共有したいと感じてくれたとき
③「ありがとう。」と言われたとき
など、どれも幾らかの時間を経て後に他者からもたらされる満足。言い換えれば「自分に還元される種類の満足」である、と僕には思える。
「趣味」は第一に自分の満足が優先され、「働く」とは第一に他者の満足が優先される。
世の中には、自分が好きで仕方のないこと(趣味)を究め、その事実が多くの人の心に働きかけたり、行動の拠り所になったり、という人生を歩んでいる方もおられよう。「趣味」を「働くこと」に転換できるのは恵まれたことであり、素敵なことである。
さて、僕自身が人生を振り返ったとき、自分にはかなり欠如していたと思われる点がある。(この歳にして恥ずかしい限りではあるが…)
自分は「趣味」と「働くこと」を明確に意識してこなかったのではないか、という点だ。
確かに自分は好きなことであるこの仕事を自分なりには一所懸命やってきたつもりだ。しかし本当の意味で働いてこれたのだろうか?ひょとして「趣味」を延長したに過ぎないことしかしていないのに、勝手に働いてきたと納得しているのではないだろうか?
自分の言動が、人に働きかけをなし(つまり人の心を動かす)、日々僕自身が「働いている」ことを自覚し、「働いた結果としての満足」を得るためには、どうすればよいのだろうか。
考えた末に今夜行き着いたのは、
①他者に発する自分の言動が、その人に対してどういった意味を持つものなのか(満足をもたらす可能性があるのか)しかと考える。
②次に、それを伝えるため、誠意ある説明を試みる。
③投げかけた言動に対する他者の反応をしっかり見る。そして、待つ。
できるか?
できなければならない。
目の前にしているのは、この国の将来を担う人たちだから。
森山’s Honey Bucket 15
今日(昨日10日)は朝から、私立高校の入学試験が行われた。
「やられたー。」
「ぜんぜんできへんかった。」
「もうあかんわ。」
「いつもの問題と全然ちゃう。ずるい。」
などという声もいっぱい。
かと思えば、
「まあまあかな。」
「そこそこできたで…」
「もうばっちり。」
「やった!昨日練習したのとほぼ同んじ問題出た!」
などという声もいっぱい。
とにかく何はともあれ、ひとまず大勝負を終えた安堵の表情を湛えて
来てくれるのが、正直嬉しい。
そう言えばたった24時間前。 この場所で…
集まってくれた学園スタッフ
(ナカジ・JR・奈緒ちゃん・おのっち・サップ・慶くん
・智香ちゃん・みっちゃん・あっ君(メッセージファックス))
それぞれからの激励の言葉を真剣に聞き、
緊張感いっぱいだったこの子たち。
スタッフ一人ずつが握手で壮行すると…
「ああ、もうあかん泣きそうや…」などと言う、
どこか神妙で感傷的。
めっちゃ可愛いなあ…
こちらもちょっとセンチメンタル。
そそそそれなのに、それなのに…
本日は雰囲気超一転。
まいどの彼らに逆戻り。
まあ
いつもご気楽そうに見えてたけれど、
それなりにプレッシャー背負ってたんやね。
お疲れさん。
果報は寝て待つとしよう!