本日より大阪のT中学校の「星くずの村」理科実験合宿が始まる。
「化学薬品の怖さ」「金貨銀貨つくり」「花火作り」…化学実験
とはいえ、もと通り元気に◎◎まわる○○○に戻してあげることは出来ない。
夏至に向かうこの時期の夕方の空が好きです。
しかし、できるかぎりそろって出かけ、「ホタル」に会ってきました。
その数がどんどん増えると一つ一つの光を追いかけることは出来なくなります。
清流沿いの土手を歩くうちに「ホタル」が肩にとまったり、合わせた両の手のひらの中にホタルが入って、
指の隙間からその光を覗いたりしたこともありました。
心の中ではそれがホタル飛び交う田舎の夕景と重なるのです。
行事で小豆島のホタルに出会えるチャンスが与えられました。
地域の皆さんの並々ならぬ努力の賜物として川に多くのホタルが戻るようになったのだと聞きました。
何度かお訪ねし、その都度「乱舞」でした。
村の方もホタルも早く元気になっていただきたいです。
完璧だ…。
夏合宿。藤原学園は「3㎞の遠泳」を実施していた。残念ながら過去形である。
瀬戸内海に人喰いサメが現れ複数の漁師が犠牲になる痛ましい出来事があった。専門家は「黒潮の流れの一部が瀬戸内海に入り込んだことが原因で、今後もサメの出現が続く可能性がある。」と説明した。大切な子どもたちの「命」には代えられない。遠泳は中止を余儀なくされた。
3㎞とは「星くずの村」眼下の古江浜から内海湾の彼方に浮かぶ弁天島までの往復である。しかし多くの場合潮流の影響で最短コースを泳ぐことはできず、誰もが3㎞よりもっと長い距離を泳ぐ結果になった。
遠泳隊の先頭は司令塔「伝馬船」。潮風にはためく「頑張れ藤原学園遠泳隊」の幟と、力強く打ち鳴らされる太鼓のドーンドーンという響きが、挑戦者たちに進むべき方向を示す。救命具を積んだ先輩の漕ぐボートが多数、隊列の左右で伴走する。
泳がない同期生たちは、乗り組んだ漁船から声を限りの声援を送り続ける。
泳ぐ者にとっても、応援する者にとっても、「遠泳」はまさしくドラマだった。
その年…
B君は泳力測定「評価C」。この泳ぎ方では完泳はとてもありえないと思える様子だ。
しかし彼は「遠泳をするために合宿に来たのだからどうしても挑戦したい。させて欲しい。」と村長に直談判した。
(※遠泳前日に必ず実施される泳力測定で、A・A’・Bと判定された者は参加を認められる。測定途中に棄権した者は×。C判定の者は、測定コースこそ泳ぎ切ってはいるが、「本番の厳しさ」を何度も説明し参加を見合わせるよう持ちかけていた。)
同級生のU君は泳力測定途中棄権。
彼は「どうしても伝馬船上で太鼓を叩きたい。」と申し出た。
遠泳当日…
先頭の泳者が片道を泳ぎ終え弁天島に上陸する頃、B君はまだ行程の半分にすら到達できていなかった。しかし彼は何とか片道を泳ぎ切った。
「よく頑張った。もう十分合格だ!」と言うわれわれの労いに対し、彼は首をしっかり横に振った。「帰りも行く。」
帰路、先頭と最後尾の間隔は往路より遥かに長くなった。B君の泳ぎは目に見える前進を止めたようだ。しかし彼は決してギブアップしなかった。先頭集団はもちろん、遠泳参加者の殆どの者が泳ぎを終え、浜で体を温めつつ待っていた。伝馬船も、そして先輩方のボートも一漕また一槽、最後尾のB君を激励するためにコースに戻ってきた。
浜からとボートからの大歓声の中、B君はとうとう完泳した。
本人も周りの者も大きな感動に包まれた。B君は待ち構えておられたヒゲ先生からゴシゴシひげの祝福を受けていた。
一夜明けた朝、M君から「先生、Uの手見た?」と問われた。
第4宿舎前にU君を見つけ、彼の両掌を見た。真っ赤になった両掌の上半分は完全に皮がめくれ無くなり、肉があらわだった。痛々しいという表現では足りない傷跡だった。
「U!」彼は太鼓のばちを握り続け、力強く力強く叩き続けてくれていたのだ。
「掌がこんなんになってるのに、なんで何も言えへんかったんや…。」
「僕が出来ることはこれくらいしかなかったから…」U君はつぶやいた。
教え子たちに大きな大きな仕事を見せてもらった。
もう26年もたったのに、あの感動は忘れることがない。
(中には寝坊さんもいたが…)
先日学園長がブログに綴っておられたのと同様、平素の授業とは
また違った子どもたちとのやりとりができ、それが毎回新鮮に感じられるからだ。
僕も含め勉強会に参加するスタッフは必ず、
「何か質問無いか?」 と子どもたちの顔を覗き込んで歩いて回る。
中にはそんなふうにかまわれることを歓迎しない子もあるだろう。
しかしそうすることが我々の意気込みの発信であるし、
何より引っ込み思案の子の質問を引き出すことのできる得策
であるから、妥協はできない。
声を掛け、首尾よく「じゃあこれ質問…」と返答が返ってくると、
「しめしめ。」と心が躍る。
最近厄介なのは、○眼(老○)が進み、子どもたちの開く教科書や
問題集の細かい文字や表記がにわかに読み取れないことだ。
(あっ君のブログにも「声の出せない辛さ」があったが)
この仕事は
①情報の伝達者として「声」と「表情」を豊かに発すること
②情報の受信者として「目や耳」をしっかり働かせることが 大切だ。
ど近眼で眼鏡をはずすと50cm離れた文字が読み取れないくせに、
近眼用の眼鏡を掛けたままでは近くの文字がまったく判読できない。
ああ、まったく不便だ。
いよいよ遠近両の眼鏡のお世話にならないといけないようだ…
家族と共に美しい星空をながめ、幸せな気持ちになった。
感謝。