森山's Honey Bucket 38
夏休みが始まりました。
以前藤原学園の先輩だった先生が、夏休みを前に後輩である生徒諸君に「大切な夏休みを最も素敵に過ごす方法は、日々学校に通っているときとまったく同じペースで時間を使うことだ。」とアドバイスしておられました。
具体的にはいつもと同じ時刻に起き、朝食を取り、勉強の用意を整えて、お弁当を手に、※学校に行くというものでした。
休み中ですから、※「学校に行く」は正しくは「学校へ行く振り」をして自分の部屋に入るのだそうです。
「毎日毎曜日『学校の時間割どおり』の科目に取り組もう!時間割に合わせることで、次に何をしようか?と迷う時間が不必要になるし、なによりメリハリの効いた時間が過ごせる。」というのがお話の要点でした。
例えば金曜日の時間割…
1時間目が英語ならば、学校の英語の宿題か学園の『英語自習教室』に50分間打ち込む。
2時間目が社会ならば同様に。
3時間目が音楽なら好きなミュージシャンの音楽を聴く。
4時間目の数学を終えたら、
お弁当タイム。
その後は一部別の曜日と時間割と入れ替え
5時間目~6時間目は連続体育の授業にして、プールに泳ぎに行く。
なんて具合に、夏休みの生活にリズムを作っていくことができれば素敵だと思いませんか?
僕も先生の教えに従ってクラスの子たちにこのことを真剣に薦めてみました。
「理想だとは思うけど…。誰もそんなことできへんやろう?」と言うあなた。
でも、先輩のY君はほんまに実行しましたよ。
「クラブどうするん?私、朝練やし。」という君。
臨機応変に対応してみて下さい。
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森山's Honey Bucket 37
僕が中3の頃、小豆島の夏合宿はたしか5泊6日だった。
「おかしいなあ…すこし頭が痛いねん。無理かなあ…今日は。」
「遠泳」参加希望者に課せられた「泳力測定」が行われる日の朝、僕は同級生のK君に向かってそんなことをつぶやいた。
「こわくてこわくて、とても遠泳など挑戦する自信がない。」
そう正直に言ってしまえばよいものを、仲の良かったK君に対してまでそんな小細工をしてしまった。
泳力測定からも、もちろん遠泳からも逃げた。
でも、遠泳の隊列を傍から守り応援するボート係り(ボートにはひも付きの浮き輪が2つ3つ積んである)には立候補した。
懸命に泳ぐ仲間を、目と鼻の先ほどの距離から応援し続けた。
いっぱいいっぱい感動した。
しかし感動が大きかった分、友たちの懸命さを目の当たりにした分、
自分の心に引っかかるものが残ってしまった。
こわくて泳げなかったという事実より、むしろそれを友だちに知られるのがいやで卑怯な演技をした自分がうんと小さく思えたのだ。
大学生1回生の冬頃から学園の助手としてお手伝いができることとなった。
2回生の夏、合宿の付き添いとして小豆島に行けたなら、後輩の中3生(25期生)と一緒に遠泳に参加させてもらおう…。自信などないけれど、ただ泳ぎたいと思った。
大学で放課後練習中の水泳部の方に思い切って声を掛けた。
「この夏海で3キロメートルを泳ぎたいので、泳ぎ方を教えてください。」
初対面でのいきなりの申し入れだったのに、その人は時間を割いて「横泳ぎ」を教えてくれた。「疲れたときにこの泳法に変えると楽になるよ。」と。
合宿の夜、ミーティングで「生徒たちと一緒に泳ぎたい。これが初挑戦になります。」とお願いしてみた。
「それじゃあ、遠泳隊の先頭を任せる。速く泳ぐ必要はないが、泳ぎ切らないといけない。大丈夫か?」と如先生がおしゃった。
「はい。がんばります。」
先頭役には動揺したが、今度は逃げずに踏ん張った。
泳ぎ始めた。
泳ぎ続けた。
横泳ぎ、習っていてよかった。
泳ぎ切った。
「遠泳」に参加した…
中3から背負っていた荷物をやっと下ろすことができた。
森山’s Honey Bucket 36
先週、上本町校の地元で「愛染祭り」がありました。
小学生も中学生も毎年「愛染祭り」をことのほか楽しみにしている様子です。
特に中学生は苦しめられていた期末テストの終了とほぼ同時の開催とあって、「やった!祭りや!」とばかりの喜びと躍動が渦巻いていました。
かつて僕が教育実習生としてお世話になっていた瓢箪山(東大阪)のK小学校でも、近くの「枚岡神社」の秋祭りが開催されるときには、学校は半日で終業、子どもたちは祭りに参加するため目をキラキラ輝かせて家路を急いでいました。
正直言って羨ましい。
小さい頃からわりと引越しやそれに伴う転校を重ねていたので、
これこそが僕のお祭りだ!という決定打がありません。
これこそが僕のお祭りだ!という決定打がありません。
自分の人生において、他の人に誇れる「僕の祭り」がないこと、
旧知の友人と熱く語り合える「自分たちの祭り」がないこと、これはとても残念です。
塾の教師の立場からはいささか不謹慎かもしれませんが、子どもたちが地域の祭りに目を輝かせ、ご家族や友だちと興奮した時を過ごすために、結果的に塾の授業に遅刻したり欠席したりすることは、いたしかたのないことなのかなあ…と感じています。
森山’s Honey Bucket 35
家内が胆石で入院してからの11日間、ぼくの起床は毎朝午前6:40です。
いやあ、早起き(僕にとってはですが…)は三文の得、貴重な体験を続けています。
(世の中のお母さん方やしっかり者の下宿生の皆さんには呆れられる話かもしれませんが…)
生まれて初めて、家事らしい家事というものを体験しています。
むろん僕一人ではなく、息子や娘にもそれぞれ役割分担がありますが…
ふだん母さんに任せ切っている仕事のたいへんさに改めて驚くやら感心するやら。
今朝の僕は…
犬のウンチを取り、おしっこを流し、犬用蚊取り線香をセットする。
樫の木から降る葉を掃き集め、キキョウやアサガオ・紫陽花などの植物に水をやる。
洗濯物をネットに仕分けして入れ洗濯機に放り込み、洗剤入れてスイッチオン。
それが音を立てて働いている間に朝ご飯を支度をする。
終わったら食器洗い。
それが音を立てて働いている間に朝ご飯を支度をする。
終わったら食器洗い。
そしてゴミ出し。
たかがゴミ出しされどゴミ出し。今日の生ゴミはちゃんとできたのですが…
3・4日前、「あゆみ!プラスチックゴミの日にペットボトルは出したらあかんのんか?」
こんなのはよくわからん。常識知らずの中年オッチャンです。
「ピーピーピーピー」おっと洗濯機が呼んでいる。
ネットの中の洗濯物は、干す前にいっぺんたたんでパンパン叩いてしわ延ばしするらしい。
このしわ延ばしが案外手間取るのです。よし、やっとできた。続きは息子にバトンタッチ。(娘は早朝から大学に出発するので、息子が洗濯干し係りに)ウーン息子もだんだんうまく干せるようになってきよった。
このしわ延ばしが案外手間取るのです。よし、やっとできた。続きは息子にバトンタッチ。(娘は早朝から大学に出発するので、息子が洗濯干し係りに)ウーン息子もだんだんうまく干せるようになってきよった。
カッターシャツのアイロン掛け、できたものの…ほんまにこれでええんかい?
そんなこんなで、あっという間に10時前。汗ぐっしょりで息が上がっています。
でも、実はどれも結構楽しいと感じながらやっています。
もちろん、嫁さんが元気に復活するまでという期限付きだから、そんな風に思えるのかもしれませんが… (退院まであとわずか、この忙しさもあとわずか?)
特に先日は愉快でした。
土曜日の夕食の鍋の材料を息子・娘と3人で買いに行きました。(夏はクーラー効いた部屋での鍋料理が美味しい!)
幸い夜の10時をまわっても開いているスーパーがあります。
珍しく兄妹の意見が一致したらしく「コラーゲン鍋」なるものに初挑戦することになりました。わいわいガヤガヤ。買ってきた材料を切り揃え、コラーゲン出汁に投入。
いけました。とっても美味しかった。よく食べよく飲みました。素敵な時間でした。
「土曜日担当あっ君こと池畑篤先生」がしばしば書いておられることに関して、
この何日間かで、自分なりに再確認できたことがあります。
仕事をするときは
①達成までの道のりが長い大きな仕事(目標)ならば、それを達成したとききっと喜んでくれるだろう誰かのことを思い描きながら取り組む。
人の喜びを糧にして頑張ることで、きっと誰かの役に立ちながら生きていける。
②仕事を小さなステップに分け、それを乗り越えるごとに感じる小さな達成感を大切にする。(うんと自分を誉めながら取り組む。)
息子が干してくれた洗濯物が時おり吹く風にやさしく揺れています。
ささやかな幸福を感じます。
上の写真、右の白いものはミルクキャンディー、左の薄茶色は…
うちの家内が長年かけて胆のうで育ててきた胆石である。
長径25mmよくもここまで立派に、と思われる大きさである。
手術後お医者さんがタッパウェアーの容器に入れて「どうぞお持ち帰り下さい…。」とプレゼントしてくださった。
前日(22日)に手術についての説明が主治医からなされた。(ご家族の方同伴でと念を押された。)
1 全身麻酔する。
2 腹腔鏡手術といってお腹に4箇所小さな穴をあける。
3 内視鏡と作業用の小さな器具を穴から入れ胆石を胆のうごと摘出する。
といった手順の説明と、それぞれ可能性は低いが起こりうるリスクについて細かに解説された。
「麻酔後、何の問題もなく順調に進めば手術自体は90分間から長くて120分間だと思ってください。」
若くはあるが聡明そうでにこやかな主治医に、「では、よろしくお願いします。」とご挨拶して説明を聞き終えた。
手術当日(23日)午前8時55分、家内はどこか緊張の面持ちはあるものの、元気に手を振りながら手術室の銀色の扉の向こうに入っていった。
手術中家族は控え室で待つこととなる。そこは外の景色が大きく広がる明るい場所だ。
家内の実家の母とふたり、気軽で明るい会話をはずませながら約2時間、時計は午前11時。
僕の時間読みからすれば「手術が終わりましたよ。」と看護師さんからの声が掛かる最速の時刻だ。
信号待ちしているとき、赤信号があと何秒で青に変わるか…根拠もなく予想を立て秒読みを開始し、まれにピッタリあたると、「さすが僕。」などと悦に入ることがある。この朝も「あと10分」「あと20分」と分読みを始めた。
しかし控え室に近づく足音は残念ながらすべてがうちには無関係のものばかりだった。
正午、午後1時、午後2時…
家内が手術室に入って5時間が過ぎた。
ただごとでない何かが家内の身に起こっているのだ。
詰め所に事情を尋ねに行ったが手術の詳しいことは何も判らない。
時計の針が進まない。
銀色の無機質な扉から出てくるとき、すでに家内の命は尽きているのではないか…
手術室での主治医や看護師の慌てた情景が僕の頭で渦巻く。
手を振りながら別れた場面が鮮明によみがえる。
かけがえのないものを思い、祈った。
祈りが通じたのは3時だった。
「胆のうを摘出した際、肝臓からの胆汁の漏れが止まらず、やむなく開腹せざるをえなかった。
お待たせしました…。」
説明を聞きながら、主治医もやはり6時間格闘してくださったのだと思った。
なにはともあれ生きていた。
失わずにすんだ。
今日はおれるだけ横にいてやろう、そう思った。
感謝