森山’s Honey Bucet 43
合宿3日目の夜、小学5年生の子たちはキャンプ場でテントに泊まった。
「星くずの村」では、キャンプ場は山上の天体観測地に次いで高いところにある。
クヌギなどの林に囲まれ、宿舎棟のある下界とはずいぶんと趣きが異なる。
5年生までにテント泊を経験したことのある子は少数だ。
非日常を体験させるためにはうってつけの行事に思われる。
熱中症が騒がれる今年の夏だが、対策をしっかり施して計画を実行することとなった。
テント泊が非日常たるゆえんは
① クーラーがない
② 虫がたくさんやってくる
③ トイレが離れている
④ 光があふれていない
④ 光があふれていない
もちろんテレビも無い。ゲームも無い。
虫については、夕方からテント内やテントの土台下に蚊取り線香などを仕掛け、あらかじめ撃退?している。とは言え、テントの幕から漏れる明かりに誘われて虫はどんどんやって来る。案の定女子のテントからは悲鳴が上がっていた。
暑さの方は、テント入り口の網幕から入る自然の風と、テント内に持ち込んだ扇風機の生み出す人工の風とのコラボレーションにより、「思ったよりまし。」とか「意外と涼しい。」とか、彼らなりに前向きに捉えてくれていた。
昼間の8キロを超える遠足の疲れもあってか、テント内から漏れる話し声もほどなく静かになった。
汗をかきつつも、自然に抱かれよい夢を見てほしいものだ…。
汗をかきつつも、自然に抱かれよい夢を見てほしいものだ…。
翌朝は有志による釣りの後、役割分担を決めて「カレー作り」と「飯ごうによるごはん炊き」が始まった。
僕は「飯ごう」班を担当した。
各自が枯れ草や枯れ枝を集めて、一箇所ずつ火の口を作っていく。
美味しく炊き上がるご飯を期待して、飯ごう担当それぞれが額に汗して取り組んだ。
結果、見事にご飯は炊き上がった。別メンバーたちによるカレー作りも大成功。
少し大げさかもしれないが、これらの体験を、将来自らの「家庭づくり」に生かしてほしいものだ…
(溝端先生撮影の一枚)
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森山’s Honey Bucket 42
『全国高校入試問題正解』通称『電話帳』を今年も中3生に配布した。
『全国高校入試問題正解』通称『電話帳』を今年も中3生に配布した。
その問題集は、分厚さと文字の細かさゆえ、いつの頃からかずっと『電話帳』と呼称されている。
『電話帳』は入試問題集なので難しい。
多くの子が苦しみ、挫折感を味わってきた。
しかし一方でそれを乗り越え、少しずつ積み重ねた成果を、自信に変えても来た。
ほんの一部の人を除いて、全くの独力で『電話帳』を自分のものにすることは困難だ。
縁あってその学年の世話をしてくれることになった助手の先生方の、献身的な応援があってこそ、『電話帳』はその子にとって価値あるものへと変化していく。。
『電話帳』にまつわる思い出はいくつもあるが、O君とそのお父さんのことは鮮明だ。
『電話帳』を配布して確か1~2週間後。
授業終了後の教室に、『電話帳』を手にしてお父さんはやってこられた。
開口一番「うちの息子にはこんな問題はできん。返品するからお金を返してくれ!」
えらい剣幕だった。
お父さんを前に、『電話帳』のページをめくりながら、
○ この問題集にはよく似た問題が繰り返し出てくる。何度も繰り返し挑戦することで少しずつ解けるようにな
るのだ、ということ。
るのだ、ということ。
○ 多くの子にとって簡単ではない問題を、それぞれが「質問」を続けながら乗り越えていくのだ、ということ。
○ 粘り強く『電話帳』に取り組むことが、人生の節目を迎えたO君にとって大切だと信じている、ということ。
○ 応援をし続けていくつもりである、ということ。
などをお父さんに説明した。
お父さんは刀を鞘に納められ、「わかりました。」と言って教室を後にされた。
翌日からO君は、熱心に『電話帳』に取り組みかつ質問を続けるようになった。
彼は成績を少しずつ上げ、首尾よく目標としていた高校にも合格した。
彼は彼のお父さんの気持ちを力に変えたのだ。
森山’s Honey Bucket 41
自分によく似た人が世の中には複数人いるそうである。
自分によく似た人が世の中には複数人いるそうである。
先日、あるショッピングモールに出かけ、お目当てのバーゲン品を物色していた。
そのとき
卒業生で現在事務のお手伝いをしてくれているTさんとよく似た店員さんが声を掛けて来てくれた。似ているなあと感じる顔立ちは、にっこり微笑んだ笑顔(特に目)を見るとますます同じに見えた。おまけに物腰の穏やかさも雰囲気まるで一緒。親近感が湧き、ついつい1つでよいところを2つ3つと買ってしまった。
「あの人○○さんと似ていると思わない?」と、他の人同士が似ていることについてよく同意を求められる。「ほんまや似てるなあ…」とか「そうかなあ??」とかいう具合に反応する。
ところが、「私とあの人似てると思わない?」という話はめったに聞かない。人は誰しも自分は自分と「ささやかな独立心」を持っている、ということなのだろうか…。
しかし、僕はこんな稀な体験をした。
かつて転校した先の中学に「この子はぼくだ。」と、自分でも驚くほどそっくりな子がいたのだ。(まだまだ僕が超スリムな時代の話だが…。)相手の子もまた同じように「似ている…」と感じていたらしい。周りでも、元からいたO君と転校生はよく似ていると噂がたち、別のクラスからわざわざ見物客が来る始末だった。
そんなある日(確か秋の運動会の日)、廊下の向こうからどこかのおばさんがしきりに僕に向って呼び掛けてくる。名前を呼びながらぐんぐん近づいて来た。ほんとうに目と鼻の先に顔をつき合わせる距離となっているのに、そのおばさんは「わが息子」と転校生である僕の区別がつかなかったようだ。「僕、ちがいます。」たしかそう説明したような記憶がある。
お母さんですら見間違った「O君」 とは卒業以来会うチャンスがなく、35年経った。
O君は今もスリムなままなのだろうか…。それはくやしすぎる。
彼も極度の中年太りで、今でもまた酷似顔・相似体型をキープ?…それはそれで想像し ただけで脂汗が出る。
でも、恐いもの見たさで、ちょっこし逢ってみたいなあ…。
森山’s Honey Bucket 40
夏休み、日没とともに一番星として輝き始めるのは宵の明星こと金星です。
夏休み、日没とともに一番星として輝き始めるのは宵の明星こと金星です。
その明るさは星座を形作るどの1等星よりも格段に明るく、太陽の沈んだ方向(すなわち西の方角)をぼんやり眺めているだけでもすぐにそれと気づくことができます。
次に2番星として存在を告げるのは、天頂やや東よりに輝く織り姫星こと「こと座」のベガでしょうか。
またベガに遅れること半時間ばかり、いよいよ空全体が夜色に包まれる頃、ベガの下方向に「白鳥座」の大きな翼や尾の星デネブが、右下やや離れた場所にひこ星こと「わし座」のアルタイルが、それぞれ姿を現します。ベガ‐デネブ‐アルタイルを結べばご存知「夏の大三角」です。
小豆島など町の光の少ない地域で晴れた夜はベガとアルタイルの間(まさに白鳥の飛び行く方向)に「天の川」を見ることができます。
天の川の流れを南にたどって行くと、我々の銀河系の中心方向の「射手座」、赤色巨星として知られるアンタレスが目を引く「さそり座」を見るけることができます。
一方目を北に転じると、向って左手(真北からすると西より)に大きな「北斗七星」が目をひきます。北斗七星は、全天で60あるといわれる2等星のうち6つもが含まれるたいへん贅沢な星の集まりです。北斗七星がみつかったら、ひしゃくの柄から数えて6番目と7番目の星を結び、それを5倍伸ばしたところにある北極星を確かめましょう。北極星を中心に反時計回りに星が回転するように場所を変えます。これを確認するためには、1・2時間ごとの継続観測が必要です。昔から旅人たちの指針となった北極星は地球からは430光年もの距離があるそうです。ちなみに太陽を430光年先の北極星の場所まで運んでいくと、残念ながら肉眼ではまったく見ることのできない10等星程の星になるそうです。
ペルセウス座の流星群(8月10日過ぎ)頃は流れ星をたくさん見られるチャンスです。
夏休みの夜空素敵です。どうか観測して、心の財産をふやしてください。
森山’s Honey Bucket 39
そういえば、「星くずの村」育ちのヒキガエルはどうも解剖することに大きな抵抗がある。
朝の30分~40分、家の草木に水をやりながら、その成長を実感するのがこのところの楽しみになっている。
もう少し歳を重ねてからの楽しみ?とも感じなくはないが、毎朝水をたっぷりやりながら植物と交わす気軽な会話が1日のスタートにわりと合う。
今の季節はたくさんの蚊に集中砲火を浴びるので長袖と長ズボンに身を包む。夜通し稼動させたクーラーが効いた寝間から出て、一転汗だらけの時間になるがそれもいい。
今朝、こんなことがあった。
草丈が随分伸び、茎も太くなった雑草がある(名前は知らない)。
このところその雑草が、いわゆる植栽の草木の良好な生育環境を邪魔しているかに思えていた。今までに何度か抜こうとしては、ついそのままにしてきた。
「今日は抜くで…ええか?」一応雑草にことわりの声を掛けた。
そのときふと、茎先に花の蕾が房状に生長しているのが目に止まった。小さくて白い花の集まりだ。
手が止まってしまった。「ほなら、とりあえず花咲き終わるまでな…。」
つい4~5日ほど前こんなこともあった。
梅の葉が食い荒らされた。見上げると憎憎しい形相の毛虫がそこかしこ。
えい!とばかり除虫剤スミチオンを水に溶かし噴霧器で散布。
2日に亘り丁寧に散布した甲斐あって、憎憎しい毛むくじゃらの緑色は姿を消した。
植栽のために雑草を抜こうとする。どちらも同じ植物だ。
雑草の命は長らえさせ、一方で毛虫の命は容赦なく絶った。どちらも生きものだ。
朝の些細なできごとを振り返っても、「命」に対する自分の行動は矛盾だらけだ。
そして、矛盾だらけなんだなあ…と思いつつ、実はもう次の瞬間にはそんなことを反復することも忘れてしまう。凡人たる所以か…
そういえば、「星くずの村」育ちのヒキガエルはどうも解剖することに大きな抵抗がある。
解剖用のウシガエルは専門家に捕獲をお願いし、宅配してもらう。これまた矛盾である。
これをまた忘れて、明日から解剖実習に取り組む。今回は女子中学2年生だ。