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2025/04/19 19:10 |
エープリルフールの贈り物

森山’s Honey  Bucket 73

 以前に比べこの頃はあまり騒がれなくなった気がするのだが、
4月1日はエイプリルフールと言って、楽しい嘘ならいくらついても構わないとされる日だった。
 おそらくこの日は、騙す方が悪いのではなく、騙される方がお馬鹿さん…
ということで「4月バカの日」と呼ばれるのだろう。
 友だちに他愛ない嘘をついては、「ワッハッハ、今日はエイプリルフール!」などと
楽しく騒いだ小学生時代が思い出される。

 今から21年前のエイプリルフールは、春の講習会の真っ只中だった。
「ほな行ってくるわ。」と仕事に出かける僕を、
「行ってらっしゃい。今日はまだ大丈夫やわ~」と玄関先まで嫁が見送りに出てくれた。
「そらそうやろう、何せ前は76時間唸ったんやから…」
確かそんな会話をした覚えがある。

 それなのにそれなのに。若江校で担当の授業を一つ二つこなしただけのタイミングで、
義理の母から「無事に出産終わりました。2750gの女の子です。母子ともに元気です。」と電話が入った。
「えっ!そうなんですか~ありがとうございます。」
長男の時の超難産を思い出すと本当に嘘のようなスピード出産だった。
   駆け足で産院を往復させてもらったのが懐かしい。

 エイプリルフールに神様から届けて頂いた素敵なプレゼント。
当時は…可愛かったなあ…

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2011/03/31 03:10 | Comments(0) | TrackBack() | 森山's Honey Bucket
最良の道
森山’s Honey Bucket 71
 
 近鉄奈良線生駒駅に隣接する鳥居前駅から、ケーブルカーに乗車するとまず宝山寺駅に着く。
生駒山上遊園地(スカイランドいこま)へはこの駅からまたケーブルカーを乗り継ぐことになっている。
 
 「宝山寺」のことを「生駒聖天さん」と親しみをこめて呼ぶ人も多い。
 
 
 僕が小学3~4年生だった頃、母が気管支喘息を患い入退院を繰り返していた。
ある日父が「良い空気を吸いがてら、お母ちゃんの喘息がよくなるように聖天さんにお参りに行こう!」と言って、親子3人で出かけた。これが僕と「生駒さん(聖天さん)」との出会いだった。
 
 ケーブルカーを下り、お土産物屋さんの前を通り、たくさんの灯篭が居並ぶ石畳の参道を、ゼーゼー息をする母の手を引くように歩いた記憶がある。おそらく父母や周りの人たちの見よう見まねで、手を合わせたり鈴を鳴らしたりしながら、「母の喘息が少しでもよくなるように。」と祈ったはずだ。
 
 ある日、母の喘息は劇的に良くなった。(これは僕がそう思い込んでいるだけで、実際は劇的な回復などではなかったかもしれないが…、とにかく調子が良くなったのだ。)
 
 「最愛の母を苦しみから救ってくれた聖天さん」に対し、子ども心にとても感謝した。
そんなことがきっかけになって、ことあるごとに僕は聖天さんを訪ね、お礼であったり、お願いであったりを重ねてきた。
 
 
 つい三日前にもお邪魔してきた。
 
 
 年齢を重ねた父や母の健康面での願いごとがあった。
 
 震災で命を亡くされた方々のご冥福やご遺族の無念を思い、祈りを捧げた。
 
 
 そして今日合格発表を迎える教え子たちのことについても祈った。
 
 
 受験生一人ひとりの顔を思い描きながら祈る。
 
 しかしその祈りは、「○○君がどうか○○高校に合格していますように…。」と言うものではない。
 
 
 「どうか、○○君の長い人生にとって、最もよいと思われる方向に導いてやってください。」と祈ることにしている。
 
 彼が今日流すことになるかもしれない無念の涙が、彼の人生をより素敵な方向へと繋げるかもしれないからだ。
 
 
 『人生万事塞翁が馬』
 
 「生駒さん」どうかそれぞれの最良の道に導いてあげてください。
 

2011/03/24 02:24 | Comments(0) | TrackBack() | 森山's Honey Bucket
嬉しい言葉

森山’s Honey Bucket 71 
 

 後期入試を終えた昨日夕刻に、

ある中3生から下のようなメールをもらいました。

本来はそっと胸に秘めているべき内容なのかもしれませんが、

とても嬉しく心に染み入る内容でしたので、

皆さんにも喜びを共有していただきたく、

ここに揚げさせてもらうことにしました。

 

 

 


今まで
ありがとうございました。

試験はそこそこできたと思います

12月の僕はこんなにできませんでした

でも 前期が終わってからは少しずつ「合格」という文字が浮かんできました


そして それが浮かんでくるのと同じように多くのものを学べました

それは

勉強は誰でも嫌い
だからって 無理やりやらされてる間は伸びにくい

勉強は楽しくやり
自分から進んですることによって
著しく成長するものだと


藤原での受験勉強を通して学びました

そして
その  無理やりさのない
楽しく勉強できる環境が藤原にはありました


断言できます

藤原は一番楽しい塾だと


今までありがとうございました。
 

 

 

 

こんなメールでした。 

僕が嬉しいと感じた理由…お判りいただけたことでしょう。


最後になりましたが、
今回の震災で亡くなられた多くの方のご冥福をお祈りいたします。
また最愛の方を亡くされた方々の無念を察し、お見舞い申し上げます。


2011/03/17 23:59 | Comments(0) | TrackBack() | 森山's Honey Bucket
讃岐うどん
森山’s Honey Bucket 70
 
 久しぶりに休みとなった6日日曜、プチ贅沢をしました。
讃岐うどんを食べるために、夫婦して四国に渡ってきたのです。
3月いっぱいで本四架橋通行料1000円制が終了(?)するとあって、この日しか無い!と決断しました。
 
 「特に美味しい!」と評判のうどん店を、家内が2~3日がかりで情報収集し、
その中から特に、こことこことここは是非とも行ってみたいと三軒を選びました。
 もともと炭水化物大好き、粉もん命の夫婦なので、出発の朝ともなると、
遠足を前に興奮する小学生さながら、ワクワク気分でいっぱいでした。
 
 
 このツアーは、二軒目のうどん屋さんに行く前に、腹ごなし目的で讃岐富士(飯野山)422メートルに登るとか、三軒目も美味しくいただくことを考えて、温泉に浸かりお腹をへらすとか、すべての行動が「うどんを美味しくいただくため」という目的に集約した、純粋かつ贅沢な計画でした。
 
以下、大満足だった讃岐うどんツアーの一日です。
 
1軒目(朝食) 坂出山下うどん 
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 開店時刻を10分程回った8:10頃に到着しましたが、もう店内はお客さんでいっぱいでした。
麺には腰がありまくり。ステキです!評判通りの美味しさに満足。
 
腹ごなしに讃岐富士登頂。
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瀬戸大橋遠望。眼下の讃岐平野に点在する溜池の多さにびっくり。
 
2軒目(昼食) おか泉
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開店20分後の店の前。すでに長蛇の列。僕は看板メニューの「ひや天おろし」を注文。
海老天の大きさ、看板に偽りなし。
この美味しさでこの価格(945円)!次に讃岐を訪れたときにも必ず来ます、このお店。
 
レオマワールド内「森の温泉」、さすが天然温泉、体の芯からポカポカ。
消化機能が促進されたもよう、3軒目への意欲がフツフツと湧いてきました。
 
3軒目(早い目の夕食) 釜揚げうどんの名店 長田うどん
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素朴な味わい。つけ汁が美味しい。セルフで汲んでくる冷水とお茶がまたとても美味しい。
うどんや出汁もこの水あってこそ美味しくなるのだろう!と評論家気分で妙に納得。
 
 
この日のうどんツアーで、
 
「評判を生み、お客さんの列が絶えないお店というのは、
 
やはりそれだけのものを提供しているんだ。」と、よくわかりました。

2011/03/10 11:26 | Comments(0) | TrackBack() | 森山's Honey Bucket
さすらいの…
森山’s Honey Bucket 69

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 上本町校に通ってくれた人は誰もが目にしたことがあるだろうこの書。
46期生の中嶋君が小学校4年の国語の授業中にしたためたものだ。
 教室にあったゴミ箱を擬人化したものらしいが、かもし出す温かさと、どこか芸術性すら漂わせる筆使いゆえ、額縁に納められ、長く教室の壁に定位置を占めるようになった。指を折ればざっと14年間そこに居ることになる。以来教室のゴミ箱には名前が与えられることになった。
 
 中嶋君は小学2年生から中学3年生までの8年間を遠く阿倍野から通学してくれた。ニックネームはナカジ。小柄だがファイトと茶目っ気満点。ヤンチャなところもあるが、たいへん成績の優秀な子だった。中学高校とバスケットボール部に所属した彼について、「主力メンバーとしてまた副キャプテンとして、朝誰よりも早く体育館に来て、熱心に練習に励むヤツだ。」と仲間たちは言っていた。
 
 そんな彼が大学生になり、実験学校の付き添い役として、また教室で後輩たちの世話をしてくれる助手の先生として、再び学園に戻ってきてくれた。5年前のことだった。 
  
 今やスタッフ仲間である彼を褒めるのは、身内を自画自賛するようでいささか気恥ずかしくもあるのだが、とにかく素晴らしい先生だった。
 
 彼はいつも子どもたちの間近にあった。実験学校の小1・2生から高校入試前の中3生に至るまで、どの学年のどの子たちにも積極的に関わり、絶えず声をかけ、いっしょに汗をかいてきてくれた。友だちのようにしゃべるが、叱るべきときはピッチと叱ってくれた。
 
 授業後に交わす彼との会話では、「○○さん最近~なことで悩んでいるようです。」「□□君この頃~ができるようになったって喜んでいますね。」「△△君将来~になりたいって熱く語ってました。」「◎◎君には勉強中の集中力の無さが気になったので~な話をしておきました。」などなど、決まってふんだんに子どもたちの名前と情報そして子どもたちへの期待が盛り込まれていた。
 
 まさにヒゲ先生が言っておられた「一つ年上の兄であり姉であれ。」の言葉通りの先生だった気がする。
 
 助手のリーダーとしても後輩スタッフから厚い信頼を寄せられていた。
サップ君も・慶君も・小野っちもみんなナカジを慕い、いろいろな相談をしていたようだ。
 
 
 この春、彼は学園を卒業する。社会人として羽ばたくための二度目の卒業である。
 
 保育士さんとして、大勢の小さな子たちに囲まれる日々が待っている。
 
 「今から、楽しみで楽しみでしかたありません。」彼は目を輝かせてそう言っていた。
 
 「星くずの村」や上本町教室で彼の顔を見られなくなるのは寂しい。
 
 しかし、ナカジ先生は「天職」を得られたのだ。

 頑張ってね!ナカジ。

 いつまでも素敵な先生でいてください。

 そして、いままでありがとう。  たまに顔出してや!

2011/03/03 00:10 | Comments(0) | TrackBack() | 森山's Honey Bucket

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