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2025/04/21 01:08 |
すてきな紅葉だった

●むこう向きのおっとせい その55
 
この土曜日、子どもたちを連れて、
秋の紅葉の観察と葉を採集するために寒霞渓に登った。
 
色とりどりの葉が見事に咲き誇っている。
 
子どもたちは気にいった葉を集めながら、元気な足取りで登っていく。
 
「疲れを知らない子どものように・・・♪」という歌があったが、
まさにその通りで、夢中になっている時の子どもは、
全く疲れないようである。
 
何食わぬ顔をして子どもと登っていたが、坂道続きの道はきつかった。
子どもが「きれいな葉がある。」と坂を走った時には、ついていけなかった。
 
う~ん、やはり年か。
 
 
ところで秋になると葉の色が変わるのは、寒くなってきて葉の働きがおとろえ、
葉の細胞の中で葉緑体が分解されたり、
もともと含まれていない赤色の色素が合成されたりするからで、
 
これは一言で言うと葉の老化現象らしい。
 
 
何だかそう考えるとわびしくなってくるが、
老化現象をきれいだと子どもたちから言われる葉っぱは、
幸せではないかとも思えてくる。
 
 
紅葉を見ながら葉っぱに感情移入したり、何かと感じるようになったことは
楽しい事でもある。
 
年を重ねることはそう悪くはないと思えてくる。
 
ではまた。

s-SN3J0584.jpg









(見事な紅葉でした)

(子どもの作品です)
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2010/11/22 15:32 | Comments(0) | TrackBack() | むこう向きのおっとせい・・・真也のブツブツ
フィッシングクラブ
●むこう向きのおっとせい その54


「わくわく土曜日あっくん」に、話題を振られたので書く事にしよう。
 
FFC(藤原学園フィッシングクラブ)。
 
いつのまにか、こんなネーミングになっていた.。
 
 
 
昔、学園には、ラグビー、バンド、天文、テニスとクラブがあって卒業生が集まって、精力的に活動していた。
 
 
ラグビークラブはリーグに参加して試合をしていたし、バンドクラブは会場を借りてコンサートをしていたし、天文クラブは観測会を頻繁に行い、テニスクラブは日曜日にコートを借りて練習していた。
 
 
バンドは私も創生の時から参加して、へたくそながらギターとボーカルを担当していた。
自分にとっては青春の大きな思い出となっている。
 
 
そんなクラブも消滅して随分年月が立ったが、久方ぶりに「フィッシングクラブ」として復活した。
クラブと言うにはメンバーの数も活動も今のところ地味すぎるが、まぁ喜ばしい事ではある。
 

 
さてフィッシングクラブの釣果だが、ここ2回は惨憺たる結果である。
 
 
太刀魚を狙って、泉大津と南芦屋浜に釣行したのだが、奮闘むなしく、どちらも坊主であった。
 
 
しかしながら、海を前にして、魚との駆け引きを楽しむ時間というのは、いつもわくわくする心躍る時間である。
そんな時間を仲間と共有できるのは素敵な事だと思う。
 
 
 
元気に動き回れる時間が自分に一杯残されているわけではない。
 
 
今できる事を精一杯楽しんで、仕事にも精一杯打ち込んでいきたいと最近つくづく思う。
 
 
また近いうちに太刀魚にリベンジしよう。
 
 
ではまた。

 (次は釣るぞ)

2010/11/15 01:13 | Comments(0) | TrackBack() | むこう向きのおっとせい・・・真也のブツブツ
「こんにゃく田楽」と「行雲流水」
●むこう向きのおっとせい その53

ヒゲ先生が亡くなって2週間。
まだヒゲ先生がいなくなったことがピンとこない。
 
いま、天文教室にはヒゲ先生の写真と遺骨が置かれている。
教室に入るとヒゲ先生はいつもの笑顔で私を迎えてくれる。
 
しかし写真の下には小さな骨になったヒゲ先生がいる。
 
やはりここにはいないのだと思い知らされる。
 
 
 
25年ほど前、とてつもなく落ち込んでいた私を見て、
ヒゲ先生が一緒にご飯を食べようと声をかけてくれた事がある。
 
ヒゲ先生がそんな事をするというのはまずないことで、私の様子がよほどおかしかったのだろう。
 
部屋に入るとコンロに鍋がセットされていて、こんにゃくがお皿にたっぷりと置かれていた。
 
他には、何もない。ただこんにゃくがあるだけ。
 
余り話さない私を相手に、ヒゲ先生はたわいもない事を話し続ける。
 
ビールを飲み、お酒を飲み、そしてひたすらこんにゃくをゆで、味噌をつけて食う。
 
 
「こんにゃくだけではさすがに寂しいな。」とヒゲ先生が苦笑いしながら言った。
 
 
その時、ヒゲ先生の私を思いやる気持ちが痛いほど伝わって来た。
 
 
別れ際、ヒゲ先生は紙に筆で「行雲流水」と書いて、笑顔で私に手渡してくれた。
 
 
「こんにゃく田楽」と「行雲流水」
再び前を向いて歩き出す事が出来た。
 
 
死者を死せりと思う無かれ
生者のあらん限り
死者は生きん 死者は生きん
                                     ゴッホ
 
 
ヒゲ先生は目の前にはいなくなったけど、
もしかしたら今まで以上に身近にいるのかもしれない。
 
 
ではまた。

2010/11/08 14:48 | Comments(0) | TrackBack() | むこう向きのおっとせい・・・真也のブツブツ
斃れて後已む(たおれてのちやむ)
●むこう向きのおっとせい その52


父、ヒゲ先生は10月23日、午後8時23分永眠いたしました。
 
ヒゲ先生は2年ほど前より、体調が芳しくなく、幾たびかの危機もあったのですが、
その都度、持ち前の生命力で驚異の回復力を見せ、乗り切ってまいりました。
 
今回もそうなる事を切に願ったのですが、残念ながらその願いは叶わず、
85年の人生に幕をおろしました。
 
ヒゲ先生は、昭和31年、勤めていた小学校教師の職を辞し、
理想の教育の場を求めて「藤原理科実験教育研究所」を開塾いたしました。
 
開塾当初より理科実験、合宿を実施。
その後プラネタリウムを設置。
そして小豆島に合宿場「星くずの村」を建設と、
子どもたちにできうる限りの体験の場を与えようと、突き進んでまいりました。
 
「斃れて後已む」というのが口癖で、その言葉の通り、85年の人生を全う致しました。
 
自分の夢に向かって生き抜いた人生ですので、きっと満足だったろうし、幸せだったと思います。
 
ヒゲ先生は小さな骨になってしまいましたが、
これからもきっと我々を見守っていてくれる事と思っています。
時にはヒゲ先生の事を思い出して頂ければ幸いです。
 
お通夜、葬儀には大勢の人に来て頂き、
またたくさんの心のこもった弔電も頂戴しました。
本当にありがとうございました。心より感謝いたします。
ヒゲ先生もきっと喜んでいると思います。
 
ヒゲ先生のいなくなった喪失感は非常に大きいものがありますが、
今後も職員一同、力を合わせて、ヒゲ先生の遺志を引き継いでいく覚悟です。
変わらぬご支援、ご指導を頂きますよう、よろしくお願い致します。

2010/10/31 22:57 | Comments(0) | TrackBack() | むこう向きのおっとせい・・・真也のブツブツ
模様替え
●向こうむきのおっとせい その51
 
今日は異様に朝早く目覚めたので、ちょっと部屋の模様替えをやってみた。
 今の配置にして4年ほど立つ。それ以降、あまり動かさなかった。
 
不思議なもので、いったんそこに置くと、置かれた“モノども”は、
ここは俺の居場所だと自己主張を始めるのである。
 
だからそれを捨てたり、動かしたりするのはなかなか骨の折れる大仕事になる。
 
今日は“モノども”のぶつぶつ言う声に負けずに、思い切って捨てたり、場所を変えたりしてみた。
 
面白い事にほんの少し場所が変わるだけで、気分一新。
全く別の部屋に来たような新鮮な気分になれる。

今日の模様替えでのお気に入りは、今まで中途半端に部屋の真ん中にあった机を、窓際に置いた事。
目の前に青空が広がり、何とも爽やかである。
 
どうしてもっと早くにこうしなかったのだろう。
何度か思ったのに、実際にやってみなかった。
 
思った事を行動に移す事で、物事は変化する。
 
 
 
話は変わるが、どうして部屋の中にあんなにホコリがたまるのだろう。
模様替えをしながら、つくづく思った。
 
どこから奴らはやって来るのだろう。
 
調べてみた。
最近の研究結果によると、
家庭のほこりは、「人間からはがれ落ちた皮膚」「服とかじゅうたんなどから出る繊維の断片」「靴に付着して持ちこまれた土」「屋外から流れ込む空中のほこり」などらしい。
 
アメリカの調査では、「屋外から流れ込む空中のほこり」が60%だったとのこと。
 
となるとホコリを追い出すために窓を開けるというのが、逆効果になるということになる。
 
うーん、どうすればいいのだ。
マメに掃除するしかないようだ。
 
マメ?マメて何だ。
 
また調べてみよう。
 
 
ではまた。
 
 
  (秋の気配。小豆島)

2010/10/18 16:56 | Comments(0) | TrackBack() | むこう向きのおっとせい・・・真也のブツブツ

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