●むこう向きのおっとせい その55
この土曜日、子どもたちを連れて、
秋の紅葉の観察と葉を採集するために寒霞渓に登った。
色とりどりの葉が見事に咲き誇っている。
子どもたちは気にいった葉を集めながら、元気な足取りで登っていく。
「疲れを知らない子どものように・・・♪」という歌があったが、
まさにその通りで、夢中になっている時の子どもは、
全く疲れないようである。
何食わぬ顔をして子どもと登っていたが、坂道続きの道はきつかった。
子どもが「きれいな葉がある。」と坂を走った時には、ついていけなかった。
う~ん、やはり年か。
ところで秋になると葉の色が変わるのは、寒くなってきて葉の働きがおとろえ、
葉の細胞の中で葉緑体が分解されたり、
もともと含まれていない赤色の色素が合成されたりするからで、
これは一言で言うと葉の老化現象らしい。
何だかそう考えるとわびしくなってくるが、
老化現象をきれいだと子どもたちから言われる葉っぱは、
幸せではないかとも思えてくる。
紅葉を見ながら葉っぱに感情移入したり、何かと感じるようになったことは
楽しい事でもある。
年を重ねることはそう悪くはないと思えてくる。
(子どもの作品です)
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●むこう向きのおっとせい その54
「わくわく土曜日あっくん」に、話題を振られたので書く事にしよう。

(次は釣るぞ)
「わくわく土曜日あっくん」に、話題を振られたので書く事にしよう。
FFC(藤原学園フィッシングクラブ)。
いつのまにか、こんなネーミングになっていた.。
昔、学園には、ラグビー、バンド、天文、テニスとクラブがあって卒業生が集まって、精力的に活動していた。
ラグビークラブはリーグに参加して試合をしていたし、バンドクラブは会場を借りてコンサートをしていたし、天文クラブは観測会を頻繁に行い、テニスクラブは日曜日にコートを借りて練習していた。
バンドは私も創生の時から参加して、へたくそながらギターとボーカルを担当していた。
自分にとっては青春の大きな思い出となっている。
そんなクラブも消滅して随分年月が立ったが、久方ぶりに「フィッシングクラブ」として復活した。
クラブと言うにはメンバーの数も活動も今のところ地味すぎるが、まぁ喜ばしい事ではある。
さてフィッシングクラブの釣果だが、ここ2回は惨憺たる結果である。
太刀魚を狙って、泉大津と南芦屋浜に釣行したのだが、奮闘むなしく、どちらも坊主であった。
しかしながら、海を前にして、魚との駆け引きを楽しむ時間というのは、いつもわくわくする心躍る時間である。
そんな時間を仲間と共有できるのは素敵な事だと思う。
元気に動き回れる時間が自分に一杯残されているわけではない。
今できる事を精一杯楽しんで、仕事にも精一杯打ち込んでいきたいと最近つくづく思う。
また近いうちに太刀魚にリベンジしよう。
ではまた。
(次は釣るぞ)
●むこう向きのおっとせい その53
ヒゲ先生が亡くなって2週間。
まだヒゲ先生がいなくなったことがピンとこない。
いま、天文教室にはヒゲ先生の写真と遺骨が置かれている。
教室に入るとヒゲ先生はいつもの笑顔で私を迎えてくれる。
しかし写真の下には小さな骨になったヒゲ先生がいる。
やはりここにはいないのだと思い知らされる。
25年ほど前、とてつもなく落ち込んでいた私を見て、
ヒゲ先生が一緒にご飯を食べようと声をかけてくれた事がある。
ヒゲ先生がそんな事をするというのはまずないことで、私の様子がよほどおかしかったのだろう。
部屋に入るとコンロに鍋がセットされていて、こんにゃくがお皿にたっぷりと置かれていた。
他には、何もない。ただこんにゃくがあるだけ。
余り話さない私を相手に、ヒゲ先生はたわいもない事を話し続ける。
ビールを飲み、お酒を飲み、そしてひたすらこんにゃくをゆで、味噌をつけて食う。
「こんにゃくだけではさすがに寂しいな。」とヒゲ先生が苦笑いしながら言った。
その時、ヒゲ先生の私を思いやる気持ちが痛いほど伝わって来た。
別れ際、ヒゲ先生は紙に筆で「行雲流水」と書いて、笑顔で私に手渡してくれた。
「こんにゃく田楽」と「行雲流水」
再び前を向いて歩き出す事が出来た。
死者を死せりと思う無かれ
生者のあらん限り
死者は生きん 死者は生きん
ゴッホ
生者のあらん限り
死者は生きん 死者は生きん
ゴッホ
ヒゲ先生は目の前にはいなくなったけど、
もしかしたら今まで以上に身近にいるのかもしれない。
ではまた。
●むこう向きのおっとせい その52
父、ヒゲ先生は10月23日、午後8時23分永眠いたしました。

父、ヒゲ先生は10月23日、午後8時23分永眠いたしました。
ヒゲ先生は2年ほど前より、体調が芳しくなく、幾たびかの危機もあったのですが、
その都度、持ち前の生命力で驚異の回復力を見せ、乗り切ってまいりました。
その都度、持ち前の生命力で驚異の回復力を見せ、乗り切ってまいりました。
今回もそうなる事を切に願ったのですが、残念ながらその願いは叶わず、
85年の人生に幕をおろしました。
ヒゲ先生は、昭和31年、勤めていた小学校教師の職を辞し、
理想の教育の場を求めて「藤原理科実験教育研究所」を開塾いたしました。
開塾当初より理科実験、合宿を実施。
その後プラネタリウムを設置。
そして小豆島に合宿場「星くずの村」を建設と、
子どもたちにできうる限りの体験の場を与えようと、突き進んでまいりました。
「斃れて後已む」というのが口癖で、その言葉の通り、85年の人生を全う致しました。
自分の夢に向かって生き抜いた人生ですので、きっと満足だったろうし、幸せだったと思います。
ヒゲ先生は小さな骨になってしまいましたが、
これからもきっと我々を見守っていてくれる事と思っています。
時にはヒゲ先生の事を思い出して頂ければ幸いです。
お通夜、葬儀には大勢の人に来て頂き、
またたくさんの心のこもった弔電も頂戴しました。
本当にありがとうございました。心より感謝いたします。
ヒゲ先生もきっと喜んでいると思います。
ヒゲ先生のいなくなった喪失感は非常に大きいものがありますが、
今後も職員一同、力を合わせて、ヒゲ先生の遺志を引き継いでいく覚悟です。
今後も職員一同、力を合わせて、ヒゲ先生の遺志を引き継いでいく覚悟です。
変わらぬご支援、ご指導を頂きますよう、よろしくお願い致します。
●向こうむきのおっとせい その51
今日は異様に朝早く目覚めたので、ちょっと部屋の模様替えをやってみた。
今の配置にして4年ほど立つ。それ以降、あまり動かさなかった。
今の配置にして4年ほど立つ。それ以降、あまり動かさなかった。
不思議なもので、いったんそこに置くと、置かれた“モノども”は、
ここは俺の居場所だと自己主張を始めるのである。
だからそれを捨てたり、動かしたりするのはなかなか骨の折れる大仕事になる。
今日は“モノども”のぶつぶつ言う声に負けずに、思い切って捨てたり、場所を変えたりしてみた。
面白い事にほんの少し場所が変わるだけで、気分一新。
全く別の部屋に来たような新鮮な気分になれる。
今日の模様替えでのお気に入りは、今まで中途半端に部屋の真ん中にあった机を、窓際に置いた事。
目の前に青空が広がり、何とも爽やかである。
どうしてもっと早くにこうしなかったのだろう。
何度か思ったのに、実際にやってみなかった。
思った事を行動に移す事で、物事は変化する。
話は変わるが、どうして部屋の中にあんなにホコリがたまるのだろう。
模様替えをしながら、つくづく思った。
どこから奴らはやって来るのだろう。
調べてみた。
最近の研究結果によると、
家庭のほこりは、「人間からはがれ落ちた皮膚」「服とかじゅうたんなどから出る繊維の断片」「靴に付着して持ちこまれた土」「屋外から流れ込む空中のほこり」などらしい。
アメリカの調査では、「屋外から流れ込む空中のほこり」が60%だったとのこと。
となるとホコリを追い出すために窓を開けるというのが、逆効果になるということになる。
うーん、どうすればいいのだ。
マメに掃除するしかないようだ。
マメ?マメて何だ。
また調べてみよう。
ではまた。