●ところで何歳だ?
今まで本当に目だない掲示板だったけれど、
3人の事務を手伝ってくれている女の子たちのお蔭で、
命を得たように思います。
見れば見るほど暖かさを感じるし、愛を感じます。
昨日のおーじのブログを見ても、学園大好きと書いてくれていたし
同じく昨日、入試前の中3生の勉強会をやっていたら、
休みのはずのあっ君が顔を出してくれたりと、
学園を愛する人たちが身近にいっぱいだとあらためて思いました。
こんな卒業生たちの学園を大切に思ってくれる様子を見ているととっても嬉しいし、
「よし、もっとがんばろう!」という勇気をもらいます。
今日は奇しくも私の誕生日。
永遠の18歳という言葉が、言っている本人自身も引いている昨今ですが、
あとに続く若い人たちのためにも、学園をますます発展させなくてはと
強く思った誕生日となりました。
「心は年を取らない」
ロッキーバルボア
ではまた。
誕生日が同じ有名人,
ジェームスディーン。
かっこよすぎだな。
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●釣り
子どもの頃、我が家は世間からかけ離れたところがあった。
みんなが当たり前に楽しくやっているものが、我が家にはなかったのだ。
たとえばテレビ。
たいていの家庭にテレビがある時代になっても、我がヒゲ先生は世俗的なものはいらないとばかりに、
頑なにテレビを買わなかった。
頑なにテレビを買わなかった。
テレビを見たい可哀想な我々兄弟はどのようにしていたかというと、
ご近所のお家にテレビを見せてもらいに行っていたのである。
ご近所のお家にテレビを見せてもらいに行っていたのである。
「おばちゃん、テレビ見せて」と相手が食事時であろうがお構いなしに乱入。
今から考えればほんと、はた迷惑な話である。
今から考えればほんと、はた迷惑な話である。
そんな調子だから、学校でみんなが話題にする、野球やボーリングなどの話にも全くついていけず、
結構寂しい思いはした。
結構寂しい思いはした。
そんな家庭だから、釣りをする機会など全くなかった。
一度は釣りをしてみたいと思っていたのだが、どうしていいものやら全く見当もつかず、
気持ちだけはあっても、釣りをする機会には随分長い間恵まれなかった。
気持ちだけはあっても、釣りをする機会には随分長い間恵まれなかった。
そしてそんな中、釣りをする初めてのチャンスが訪れた。
職員で小豆島に行った時、林先生が釣りができるということで、やってみることになったのである。
林先生から、リールの扱い方、餌の付け方、竿の振り方のレクチャーを受け、初めての投げ釣りに挑戦。
投げた後ゆっくり竿を引いてくると、なんとリールを回すわたくしの手に、ぶるぶるという手ごたえ。
なんという心地よいふるえなんだろう。念願が叶った一瞬だった。
今でもあの時の手ごたえは残っている。
投げた後ゆっくり竿を引いてくると、なんとリールを回すわたくしの手に、ぶるぶるという手ごたえ。
なんという心地よいふるえなんだろう。念願が叶った一瞬だった。
今でもあの時の手ごたえは残っている。
それ以来、釣りは自分の中で大変魅力あるものの一つになっている。
大好きな海を前にして、魚との駆け引きを楽しみ、穏やかに流れる時に身を任す。
なかなか行く機会は少ないが、趣味の一つとして大事にし、
子どもたちにもこの楽しさを味わうチャンスを出来るだけ作っていきたいと思っている。

(リールには不思議な魅力がある)
ではまた。
なかなか行く機会は少ないが、趣味の一つとして大事にし、
子どもたちにもこの楽しさを味わうチャンスを出来るだけ作っていきたいと思っている。
(リールには不思議な魅力がある)
ではまた。
●あと2週間
今、仕事以外にやっている事と言えばテニス。
週1回しかできないけれど、スクールに通って鍛えてもらっている。
普段は生徒を教える側にいるが、テニススクールでは自分が生徒になる。
「藤原さん、また聞いてない!」
「勉強と一緒で、予習よりも復習が大事ですよ!」
「自分でやろうと思わんと、技術は身につきませんよ」
うーん、どこかで自分が言っているような言葉がコーチの口から飛んでくる。
生徒になると生徒の気持ちがよくわかる。(何だかややこしい文になった)
逆の立場に立つことはいい経験になっている。
以前に格上の相手と試合をした時、自信なさげな私を見てあるコーチが
「藤原さん、そんなオーラのない事では勝てないですよ。
技術が未熟でも、やったるぞ!という気持ちを見せないと、戦う前から負けですよ。」と言った。
技術が未熟でも、やったるぞ!という気持ちを見せないと、戦う前から負けですよ。」と言った。
試合慣れしているからか、コーチという人は実によく人を見ている。
相手の心理まで即読むようである。
相手の心理まで即読むようである。
このコーチには大事な事を教えてもらった。
「足りないことが多くても、今ある自分の力を出し切る」と考え、行動すること。
そうすることで活路が開けるということ。
そうすることで活路が開けるということ。
弱気になった時に自分を励ます言葉として今も大事にしている。
このことは受験を控えた生徒のみんなにも言える。
受験の日が近づくにつれて、果たして自分は合格するのだろうか。
あれもできていないこれも出来ていないと、不安が膨れ上がるばかりだろう。
あれもできていないこれも出来ていないと、不安が膨れ上がるばかりだろう。
不安な気持ちは分かる。しかし足らないことが多くあるにせよ、今までそれなりに頑張って来たのだ。
そのことをもっと自分で評価するべきだ。
そのことをもっと自分で評価するべきだ。
そして試験当日「足らないことが多くても、今ある自分の力を出し切る」と考えて、
目の前の問題に全力投球することだ。そうすれば悔いの残らない受験になるだろう。
目の前の問題に全力投球することだ。そうすれば悔いの残らない受験になるだろう。
私立入試まであと2週間、プレッシャーを跳ね返して、やるべきことはやっておこう。
頑張ろうね。
ではまた。
(愛用のラケットです)●15年
阪神淡路大震災から15年の年月が流れた。
たった15秒の揺れが6434人の命を奪った。
高橋幹弥君。今生きていれば35歳。
小学4年の時から学園に通ってくれて、中学3年まで6年間共に時間を共有した。
いつも笑顔を絶やさず、穏やかで勉強にも人一倍真剣に取り組んだ。
高津高校から神戸大に進学。将来を嘱望されていた。
普段は神戸で下宿。成人式で大阪に帰った時、みんながもうちょっと大阪にいたらというのを,
レポートがあるからと帰ったのが運命を分けた。
レポートがあるからと帰ったのが運命を分けた。
遺体はなかなか発見されなかったが、ご両親が行って探されたら、不思議なことにすぐに発見された。
お通夜の日、棺の前で幹弥君にずっと語りかけられていたお父さんの姿が今も目に焼き付いている。
15年の歳月が流れた。
追悼式典での遺族代表松浦潔さんの
「もう一度会いたい、会いたい。この想いは変わることはありません」
という言葉が残された人の気持ちであろう。大切な人をなくした人の気持ちを年月が癒やす事はない。
あれから地震予知の研究は随分と進んでいるようではある。
東南海地震が今後30年以内に40%、さらに50年以内の発生確率は80%と予測されている今、科学の粋を集めて,できうる限りこんな悲しい思いをする人の数を少なくしてほしいと願う。
Do not stand at my grave and cry;
I am not there , I did not die.
ではまた。
●ホイスグレイシーと食事した!
この数字は、2009年に行われた世界中のあらゆる格闘技イベントの中で最多記録であったらしい。
その中の一人に、10年ぶりにカナダから帰って来た甥の美太郎がいた。
美太郎は私の弟の長男で、現在ブリティッシュコロンビア大(UBC)の学生であり、
大の格闘技ファンである。
大の格闘技ファンである。
カナダにいながらも日本の格闘技の事は実によく知っている。
私も結構好きなのでよくテレビで見るのだが、マイナーな選手の事までよく知っているのには本当に驚いた。
私も結構好きなのでよくテレビで見るのだが、マイナーな選手の事までよく知っているのには本当に驚いた。
美太郎は試合当日、朝早くから一人で埼玉まで出かけ、先着200名限定の桜庭和志とホイスグレイシーとの握手会に参加できた。写真撮影は禁止された。
美太郎はホイスと握手しながら得意の英語でほんの短い会話を交わした。
普通ならそこで終わりなのだが、美太郎は違った。
握手会を終えたホイスがエレベーターに乗り込むのを見た美太郎は、階段を駆け下りて、
エレベーターで降りてくるホイスを追ったのである。
普通ならそこで終わりなのだが、美太郎は違った。
握手会を終えたホイスがエレベーターに乗り込むのを見た美太郎は、階段を駆け下りて、
エレベーターで降りてくるホイスを追ったのである。
美太郎がエレベーター前に着くと同時にエレベーターの扉があき、ホイスが出てきた。
驚くホイスに美太郎はカナダから見に来たので、是非とも一緒に写真を撮ってくれと頼んだ。
そんな美太郎を気にいったのか、ホイスは写真撮影に応じてくれた。
写真を撮った後、ホイスが「お前ひとりか」と尋ね、美太郎が「そうだ」と答えると、
あろうことかホイスは「昼飯を一緒に食べようと」美太郎を誘ったのだ。
美太郎はホイスとホイスの連れの3人とたったの4人で食事をしたのだ。
4万5606分の1。なんという幸運な体験だろう。
驚くホイスに美太郎はカナダから見に来たので、是非とも一緒に写真を撮ってくれと頼んだ。
そんな美太郎を気にいったのか、ホイスは写真撮影に応じてくれた。
写真を撮った後、ホイスが「お前ひとりか」と尋ね、美太郎が「そうだ」と答えると、
あろうことかホイスは「昼飯を一緒に食べようと」美太郎を誘ったのだ。
美太郎はホイスとホイスの連れの3人とたったの4人で食事をしたのだ。
4万5606分の1。なんという幸運な体験だろう。
行動を起こさないと世界は変わらない。