●むこう向きのおっとせい その65
今まで計5台の車に乗って来た。
今まで計5台の車に乗って来た。
一度乗ると結構長く乗るので、それぞれの車には思い入れがある。
買う時のことが印象に残っているのは4台目のホンダCRV。
1台目以外はホンダの車が気にいって、2台続けてホンダ車を購入した。
4台目に乗り換える時に、アウトドアブームに影響された私は4輪駆動の車が欲しくなった。
本格的なものではなく街中も走れるライトな4輪駆動車がトヨタから出ていて、それが欲しくなったのだ。
今までの付き合いもあるし、一応ホンダにも言っておこうと思ってその旨を告げたら、
ずっと担当していたFさんが飛んできた。
ホンダからもその種の車が出るので待ってもらえないかと言うのだ。
しかしながら発売されるまで半年以上もあり、まだパンフレットも出来ていなかった。
今すぐに欲しかった私はそんなには待てないと言うと、彼はまだ正式なパンフレットになる前の手書きのパンフレットを持って来て、
「必ずいいものだから是非待って欲しい。」と熱心に説明する。
聞けばそこに書かれたものとは形が変わるかもしれないとも言う。
不確かだし、手に入るまでの期間が長すぎる。
随分躊躇したが、彼の熱意とその人なつっこさに、「分かった。待ってみる。」と返事をしている自分がいた。
やはり最後は人なのだと思う。
彼は今別の店で店長として頑張っている。
首を長くして待ったCRVは期待にたがわず、いい車だった。
そして数え切れないほどの思い出ができた。
今日間もなく、5台目の車から6台目の車に代わる。
少し小さくなるが、これからどんな付き合いが始まるのか楽しみである。
ではまた。
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●むこう向きのおっとせい その64
2010年度の実験学校が昨日終了した。
2010年度の実験学校が昨日終了した。
いつも最後の授業は表彰式で、毎年子どもたちの頑張りにたいして、
賞状と記念品を渡している。
今年からは賞の名前が変わり、
今までの皆勤にあたるのが「星くず賞」、
準皆勤にあたるのが「すばる賞」となった。
以前は年6回の実施だったのが、
今はレギュラー回が6回、特別会が5回の年11回ある。
そこで参加回数が4・5回が「スバル賞」
6回以上が「星くず賞」とした。
記念品は低学年は科学工作物、高学年は岩石標本。
もらった生徒は大変喜んでいる。
今回「星くず賞」の最高はなんと9年皆勤のSさん。
小学校の2年から参加して今は高校1年生。
受験の年も構わずに参加してくれた。
よほど気に入ってくれたのだと思うし、通わせて頂いた御両親の理解がなければできない事なので、
ここまで通わせて頂いたことに感謝の気持ちで一杯である。
ここまで通わせて頂いたことに感謝の気持ちで一杯である。
9年皆勤は二人目である。
もう二度とこんな生徒は現れないだろうと思っていたら、今年二人目が誕生した。
我々としても、勇気をもらえる大変にうれしい出来事である。
実験学校は平成4年にスタートしたので、次年度は20年目となる。
先日実験学校の卒業生から電話が入り、久しぶりに実験学校に参加したいと言う。
聞けば今東大で生物の研究をしているとのこと。
去年には京大が出版している本が届き、その中に「将来を嘱望される研究者たち」という、
ノーベル賞を取った益川教授と座談会している記事があり、
実験学校の卒業生がそれに加わっていた。
ノーベル賞を取った益川教授と座談会している記事があり、
実験学校の卒業生がそれに加わっていた。
添えられた手紙には「実験学校で体験したことが始りです。」と書いてあった。
ヒゲ先生の播かれた種はいろんなところで花開きつつあるようだ。
いずれの道を進むにしろ、物事を推し進めていく原点は好奇心だ。
そして好奇心を喚起するのは、幼いころに体験する様々な体験であろう。
我々の仕事はその体験の場を提供することなのだ。
3月からまた新たな実験学校が始まる。
子どもたちに体験させる内容をより充実したものにして、
新たな子どもたちを迎え入れたいと思う。
ではまた。
●むこう向きのおっとせい その63
年末に、30年ぶりになる卒業生から電話をもらった。
卒業後一度も会っていなかったのだが、思い立って連絡をくれたのだ。
本好きの、無邪気だった女の子も、人生の荒波を幾たびか乗り越え
今は悩みを持った人たちの心のケアを、ボランティアでしているとのことだった。
その彼女が関わっている「とれぶりんか」という団体が、阪神淡路大震災をテーマにした
「おじいちゃんの古時計」という劇を上演するので是非見に来てほしいと、
優待券を送ってくれたので昨日見に行った。
会場は尼崎の「ピッコロシアター」中ホール。
小さな会場だが席は満杯。
オカリナの演奏や弾き語りの後、劇の上演が始まった。
素人の演劇なのでお世辞にも上手いとは言えないが、一生懸命さと真剣さは伝わってくる。
ストーリーは
「地震の起こった後、耳の聞こえない少年竜夫と脳性マヒで車いすの少女明子が、竜夫のおじいちゃんの安否をたずねて、被災間もない神戸にボランティアの旅に出かける。がれきの中でボランティアに取り組む他の障害者や、家族や友人を亡くしながらも他人のために一生懸命な女性に出会うことで、二人は成長していく。」というもの。
代表の中川雄二さんも震災の体験者で、
「ついさっきまで当たり前のようにあった生活が、命が、わずか20秒余りの激震で一変してしまったのです。かけがえのないものを失くしてしまった人々の喪失感、虚無感。未だに口もきけずに打ちのめされたままの人たちがあちらこちらにいました。」
中学校の教諭だった中川さんは、教え子の障害者と被災地でボランティアに取り組まれる。
「・・・さまざまなドラマがありました。人と人がつながることの大切さ、今一番私たちの社会に求められるもの・・・、その全てがここにあったように思います。」
「何としても風化させてはならない。被災地の痛みを通して、世界中の若い世代をつないでいくことが出来ないものか。私たちがこの芝居を温め続けた想いがここにあります。」
と挨拶された。
実際に被災していない私にとって、この人の、また、この劇を演じた人たち、そしてそれを支えている人たちの思いをどこまで感じ取れるか心もとないが、伝えられたメッセージは心に留めておこうと思った。
今日で阪神・淡路大地震が起きて16年目になる。
「6434人の命が奪われた阪神大震災から、17日でまる16年となる。10万棟を超える建物が全壊した被災地は、震災復興土地区画整理事業が近く完了する見通しとなり、街づくりにひとつの区切りを迎えた。ただ、復興公営住宅の独居の高齢者が全世帯の4割を占めるなど、新たな課題も生じている。 」
と新聞には書いてある。
記事を見るだけで何か分かったような気になってしまうが、
「一人一人には歴史があり、それぞれにかけがえのないものなのです。」
というこの劇のシスター役の人の台詞の通り、こんな記事の裏側には、想像もつかないようなドラマがあることを見落としてはいけないと、この劇を見て改めて感じた。
というこの劇のシスター役の人の台詞の通り、こんな記事の裏側には、想像もつかないようなドラマがあることを見落としてはいけないと、この劇を見て改めて感じた。
ほんとにいい機会を与えてもらえた。
30年ぶりの教え子は面影をたっぷり残したまま、真剣に生きていた。
またこれからも応援していきたいと思う。
●むこう向きのおっとせい その62
年末から取り組んできた「学習塾百年の歴史」の二つの原稿が、ようやく完成した。
後は文章に入れる写真を選ぶのみ。
ようやく肩の荷が降ろせそうである。
今回依頼された原稿の締めくくりとして
ヒゲ先生が書かれた文を引用して次のようにまとめた。
「生活理科の実験を子どもたちに思う存分させようとして始まった塾です。
その勉強や体験が実際面の社会や自然、あるいは人間生活の中にどのように結びついてい
るのか考え、勉強が特定の受験だけに奉仕するものではない、即人生と固く結びついた喜
びであることを、子どもたち一人一人の胸の中に知らせていける、
そんな塾であり続けたいと願っています。」
改めて学園の原点を見つめて、日々子どもたちと接していこうと思う。
新年はこの原稿書きに随分時間を取られたが、出来上がった今、充実感はある。
それゆえ、今年はいい事が起こりそうな予感がする(単純です)
昨年はあまり良くないことが続く1年であったが、
今年はきっといい事が起こる。
ずっとそう思って1年を過ごそうと思っている。
さて年末にはどんなことを書いているのだろう。
ではまた。
●むこう向きのおっとせい その61
去年と言ってもほんの3日前に終わったばかり。
日は連続しているのに、どこかで区切りをつけないと
人は気持ちが落ち着かないのかもしれない。
亡くなった数学者の森毅さんは、同じ自分でずっと過ごす事はない。
それは人生が50年だった時の話。
今は平均寿命が80歳にもなったのだから、人生を20年ごとに区切って、
20年ごとに新しい自分になってみるのがいいというようなことを仰っていた。
新たな年を迎えるにあたって、励みになる言葉だった。
年末よりずっと取り組んでいることがある。
「学習塾百年の歴史」という本が発行されることになり、
その中で「藤原学園」のことと「実験学校」のことを載せるとの事で、
原稿作成に忙殺されている。1500字×3が二つ分なので、ちょっと大変である。
文を書くにあたって、ヒゲ先生が塾を始めるに至った経緯、ヒゲ先生の子どもたちへの思いなど、ヒゲ先生の残した文を読み返す事になった。
今までで一番熱心に読んだかもしれない。
ヒゲ先生の後についてずっとやってきたので、ある程度ヒゲ先生の考えは理解しているつもりでいたのだが、ヒゲ先生の語ることは刺激的だった。
また気持ちも新たに、この仕事に取り組んでいこうと強く思った。
20年の区切りではないが、新たな20年が始まるつもりで、頑張っていこうと。
いいお正月を迎えることが出来た。
人は変わる。
一日、原稿書きの合間に花園へ「全国高校ラグビー」の試合を見に行った。
昨年東福岡高校に入学し、ラグビーをやっている林君を応援に行ったのだ。
およそ2年ぶりに会うことが出来たが、ほんとに逞しくなっていた。
昨年全国制覇を果たした東福岡で試合に出られる所までになったというのが凄い。
話す時間はほとんどなかったが、シャイなところは変わっていなかった。
思わず抱きつきたくなった。
彼を見て、自分も頑張らねばと勇気をもらった。
東福岡高校の優勝を願っておこう。
(花園ラグビー場の入口のアーチです)