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2025/04/21 01:24 |
子メダカ誕生
森山’s Honey Bucket  53
 
 メダカの赤ん坊です。
 72c38b07.jpeg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  多くの卵が孵化することなくカビに包まれてしまったので、
  残りの卵も駄目だろう…と諦めかけていたのです。
 
 が、なんとこの子たち4匹は見事に孵化しました。
 事務の智香ちゃんが「先生~!!!生まれてま~す!!!」と見つけてくれました。
 
 毎日元気に泳いぎまわり、乳鉢ですりつぶした餌(小野っちが丁寧にすりつぶしてくれました)
 をよ~く食べます。 
 もう生まれたときの3倍くらいの大きさになった気がします。
 
 卵のうちからお母さんお父さんメダカとは離され、隣の水槽に暮らしていますが、
 もう少し成長したら、親子同じところを泳がせてやりたいと思っています。
 
 
 
 実はこの子メダカたち、ヒゲ先生のお葬式の日に生まれました。
 
 
 それはもちろんただの偶然なんですが…。
 
 この子メダカたちを大きく元気に育てることに、何だか特別な意味がある。
 そんな気がしているのです。
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2010/11/11 01:45 | Comments(0) | TrackBack() | 森山's Honey Bucket
ヒゲ先生とJJT
 森山’s Honey Bucket 52
 
 
 もう15年以上も前になると思う。
 
 学園の職員会議の席上、ヒゲ先生が
 
 
 「小生は『全日本JJT』を立ち上げることにした。
 
 J…塾で、J…実験を、T…楽しむ会
 
 で、JJTである。」
 
 
 と話を始められた。
 
 
 常日頃からヒゲ先生は「日本の理科教育の現状は惨憺たるものである。」とおっしゃていた。
 特に公教育への失望を語られるのをよく耳にした。
 
 
 多くの予算を投入され立派な備品を揃えているにも関わらず、事故があってはならないからとか、
 手間を掛ける割に得られる効果が少ないからとか、
 と言う理由で、揃えた備品を真に活用しようとしない。
 そんな公教育の現状について、
 
 理科教育の有様を憂い、現況を打破しようと、
 信念を持って立ち向かう教育関係者が少ないことについて、
 
 子どもたちに最も近い位置に立つ現場教師の中に、
 しっかり理科を勉強しているとは思えない人がたくさんいることについて、
 
 嘆いておられたのを記憶している。
 
 
 
 「学校が駄目なら、塾が立ち上がるより他にない。」
 
 「全国の心ある塾が、子どもたちのために理科実験をする。」
 
 「そのためのノウハウはすべて公開し、塾の先生方が安全かつ有意義に実験できるようヒゲが指導する。」
 
 「小生の構想では、当初は月に一度、小豆島「星くずの村」にてJJTを開催するつもりだ。
 開催の度、小生が塾の先生方を生徒たちに見立てて実験授業をする。同時に「ここではこんな注意が必要 
 だ。」とか、「この場面ではこんな演出をすると子どもたちは大いに喜ぶ。」とか、できる限り丁寧に伝える。
 「実験の要諦は予備実験にある。」これもしっかりと指導したい。
 
 3~4つの実験授業が終わったら、先生方とスキヤキをつつき、杯を酌み交わしながら、塾の使命や経営に
 ついて、また互いの夢についておおいに語り合うのだ。
 小豆島までの交通費のみ自弁。その他JJTへの参加費用は一切無料とし、ヒゲがすべて負担する。
 JJTへの参加資格は唯一、『塾長自らが会に出席することのみ』。
 決済権のある人が相当の覚悟をもって実行に移さない限り、子どもたちのための理科実験指導を
 継続することなどできないからだ。」
 
 
 ヒゲ先生のJJT構想は、先生の頭の中では既に完成をみていたようだ。
 
 寝ても覚めても考え抜いて、「よしっ。」となったら即実行。
 これが僕の知りうるヒゲ先生のいつも変わらぬ生き方だった。
 
 
 やがてJJTの存在は全国の心ある塾長に知られるようになった。
 
 各地方から、生徒数何万という大規模塾の塾長や町の小さな塾の塾長らが毎回「星くずの村」にやってこら
 れた。そしてその都度ヒゲ先生を囲んで、実験を楽しみ、日本の理科教育に果たす塾の役割を確認されてい 
 たようだ。
 ヒゲ先生は乞われて、北海道や沖縄石垣島へも実験をするため出向かれることもあった。
 JJTの活動に共感されたある国立大学の教授が、実験講師として自ら名乗りを上げ応援授業をして
 くださったこともあった。
 
 
 先の専任会議の頃、不安を抱いた僕はヒゲ先生にこんなことを尋ねてみた。
 
 「ヒゲ先生、理科実験は藤原学園のいわば専売特許、学園の大きな特色です。
 全国の塾がヒゲ先生に習って実験を始めるようになれば、わが学園の特色が特色でなくなり、
 結果将来われわれがご飯を食べられなくなるのではないですか?僕はそれが心配です…」と。
 
 ヒゲ先生は豪快に笑いながら、
 
 「君はけつの穴のこまいことを言うね。もっと日本全体のことを考えてみなさい。
 いろいろな場所で多くの子どもたちが実験に歓声を上げ、ものごとをしっかり考えるようになるんだよ。
 それを想像してみなさい。実に素晴らしいことだ。アッハッハ!」
 とおっしゃった。
 
 
 ヒゲ先生の蒔かれたJJTの種は確実に発芽した。
 
 全国の塾で実験を楽しんでいる子たちの数は飛躍的に増えた。
 
 
 「ヒゲ先生、やっぱり最近ご飯が食べ難くなってきましたよぉ…」
 そんな泣き言が天国のヒゲ先生の耳に入るようなことにでもなれば、
 
 「君は何を言っとるのかね!」
 
 こんどは叱り飛ばされるに違いない。
 
 高い志をもち、そのひとつひとつを現実のものとしてこられたヒゲ先生。
 その航跡を掻き消してしまうことのないよう、頑張らねばならない。

2010/11/04 22:05 | Comments(0) | TrackBack() | 森山's Honey Bucket
「先輩を囲む会」
森山's  Honey  Bucket  51
 
 
  「先輩を囲む会」は、とてもうちの学園らしいと感じる行事だ。
 
 現役の中3生を前にして、1歳年長である高1の先輩たちが集い、話をしてくれる。
 
「志望校はいつ頃どのような理由できめましたか?」
「11月頃五ツ木模試の志望校の合格判定はどうでしたか?」
「不得意科目はどうして乗り越えましたか?」
「この時期、一日の勉強時間はおおよそどれほどでしたか?」
「もう勉強なんていやだ、と思ったことはありますか?」
「これから入試までどんな心構えでいればいいでしょう?」
 
のように、先輩が中3生だったころの経験を尋ねる質問がある。
 
また
 
「高校生活は楽しいですか?」
「高校での勉強はやっぱたいへんですか?」
「高校のクラブ活動は中学より厳しいですか?」
「バイトはしていますか?」
「恋人できましたか?」
 
と言った、先輩の高校生活について尋ねる質問もある。
 
 順に送られてくるマイクを手にしながら、ある先輩は流暢に、ある先輩は緊張に押しつぶされそうになりながら、でも一所懸命に答えてくれる。
 それがいい。
 
 先輩への質問は、中3生自ら挙手してするのか…といえば、なかなかそうはいかない。
ほとんど初対面の先輩と後輩だから、それは無理もないことだ。
 
 そこで、真也学園長が巧みな司会で、中3生に成り代わって先輩に質問されたり、
中3生を指名して質問を引き出されたり、先輩・後輩双方の緊張をうまく解きほぐしながら会を進めていかれる。だから、あっというまに会は大いに盛り上がっていくのだ。
 
 毎年、「今年の会も素敵だった…。」と感じる。
 
 
  
 「先輩を囲む会」は、学園の素晴らしき伝統となった行事だが、何を隠そう35年前僕が現役中3生だった大昔にもうすでに伝統行事となっていたようだ。
 
 当時のそれは今とは少し趣向が違いっていた。
各高校から1人ずつ先輩が来られ、「では次、○○高校の説明を○○先輩にして頂きましょう。」という高校紹介型の「会」だった。
 
 僕は、憧れている高校が説明される順番を固唾を呑んで待った。
その高校の説明には、同じ小学校の1年上級だった先輩が立たれた。
先輩は、まず大きな紙に書いてきた学生食堂のメニューと値段の一覧表を僕たち後輩に見せるところから話をスタートされた。「自分が通っている高校のことが大好きだ。毎日楽しくてしかたない。是非君たちもおいで!きっと後悔はしないよ。」
 どの話も僕の気持ちを大きく大きく膨らませるものだった。
 
 その証拠に…
 
 「先輩を囲む会」を終えた直後、僕は駅までの道のりをひたすら走り、プラットホームへも駆け上った。
 
 早く家に帰り着きたかった。
 帰って勉強したかった。
 
 一度はくすぶっていたいた憧れの高校への心の炎が、またメラメラと音を立てて燃え立ちはじめた。そんな興奮に包まれた帰路だった。
 
 
 
 
 後輩を思う先輩たちがいて、その声を受け止める後輩たちがいる。
 
 そこには強制も脅しも存在しない。
 
 ただ応援する者とされるもの者たちがいるだけだ。
 
  この温かい空気が、自らの内燃機関に届けられてこそ、人は動き出すのだ、きっと。
 
 
 
 そして、こんな「会」を50年以上開催し続けていること。
 
 まさしくこれが学園らしいと感ずる。
 

2010/10/21 00:14 | Comments(0) | TrackBack() | 森山's Honey Bucket
豆腐作り
森山's  Honey  Bucket  50
 
 
 去る10月9日土曜。藤原学園 秋の恒例行事である「豆腐作り」が開催された。PA095225.jpg
 
集まってくれたのは学園生を中心にその友だちたちと保護者の方々の44名だ。
 
 
 僕 : 豆腐の原料は?                        
 
 子 : 大豆 !
 
 僕 : 豆腐が「畑の牛肉」と呼ばれるのはなぜ?
 
 子 : 大豆にはたくさんタンパク質が含まれているから!
 PA095250.jpg
 僕 : すり鉢とすりこぎで大豆を40分間すりつぶします。
 
 子 : エッ~ そんなに!
 
 僕 : 水を入れてかき混ぜ、布でしぼると豆乳が取れます。
     しっかりつぶして、しっかり豆乳をしぼり取るほど、分厚く立派な豆腐がで  
      きるよ!

 
 子 : はーい!                   
 
 
 毎年不思議に感ずることがある。
 
 この行事の参加者の中には、普段学園には通っていないいわば我々とは初対面の子たちが多くいる。
 でも実験を進めると、どの子が学園生でどの子が初対面の子なのかが区別できなくなってくる。どの子も元からいたうちの子たちに見えてくるのだ。誰もが頑張り家で可愛い。
 
 お父さんやお母さんたちも子どもたちの輪に入り、共に額に汗しながら実験の応援をしてくださる。
配膳や片付けではスタッフと一緒に精力的に手助けくださる。
 
 まさに教室中一体となるのだ。
 
 いくつかの工程を経て、無事できあがった湯気立ち上るお豆腐を、子どもたちは手でちぎり取って頬張る。
ある子はどばっと大きな塊を、ある子は遠慮がちにちょっとだけ…。でも、どの顔も満足気だ。
 
 PA095252.jpg
 会食では決まって誰が一番たくさん食べるかを競うレースが繰り広げられる。
皆、われ先にお代わりに来る。
普段はあまり口にしないだろう「おから」も大勢がお代わりに並ぶ。
 
※豆腐は賽の目切りで味噌汁へ。しぼりがらは絶品のおからに。ご飯は5升用意した。
 
ちなみに今年の記録は…
 
 ご飯の部     1位…7杯(お代わり6回)PA095264.jpg
 お味噌汁の部  1位…7杯(お代わり6回)
 おからの部        1位…9杯(お代わり8回)                   
 
 
 
 子 : 「満腹や。」 「ウ~ン 苦しい。」 「動けん…」
 
 僕 : 「何にもそんなになるまで食べんでもええのに…」
 
 
この会話、豆腐作りの日にかならず交わすお別れの挨拶の一部になった。
 
※ このブログ中のすべて写真は(溝端先生の一番弟子?)脇本サップ先生撮影によるものです。


2010/10/14 00:04 | Comments(0) | TrackBack() | 森山's Honey Bucket
季節を感じる
森山's  Honey  Bucket  49
 
 
 
 近くにある墓地の大銀杏にセミが大きな声で鳴いていたとか
 
 モータープールの金網に毎年たくさんのアサガオが咲いていたとか
 
 
 
 家の床下でコオロギが合唱していたとか
 
 お月見の月がきれいだったとか
 
 大銀杏が真っ黄色になっていたとか
 
 
 
 大雪で商店街のアーケードが落ちたとか
 
 小学校で泥混じりの雪玉で雪合戦したとか
 
 銭湯の帰り道お母ちゃんと大きなオリオン座を見たとか
 
 
 
 
 小さかった頃の「季節」にまつわる記憶は、どれも印象的なものに限定される。
 
 
 そもそも子ども時代の自分には「季節を感じ取るちゃんとしたアンテナ」が準備されていなかった。
 暑いか寒いか、晴れが続くかか雨が続くか、日が長いか短いか、日常の関心はその辺りで十分だった。外で遊べるか、何時まで遊べるか、それで事足りた。
 
 まして、季節の移ろいが身の回りの事物に素敵な変化をもたらしていることになど、これっぽちも気持ちを向けることはなかった。
 
 でもそれは、何も僕だけに限ったことではなく、おそらく友人たちにとっても共通のことではなかったか。みんな毎日をいかに愉快に過ごすかにエネルギーの殆どを消費していたに違いない。「季節を味わう心」はかくして育たなかった。
 
 
 
 
 それがどうだろう…
 
 
 今朝は
 
 涼やかな秋風に運ばれてきた公園の金木犀の甘い香りに「あれれっ」とときめいた。
 
 不思議なことに、辺りには橙の小花は見あたらない。香りを頼りにあちこちキョロキョロしながら歩くと、そこにはまだ蕾の金木犀があった。
 
 「蕾でも香るんだなあ…」
 
 ちょっとした発見と喜びがあった。
 
 
 
 自宅のハナミズキも、日一日と葉の色を変えていく。
 
しかしそれぞれの葉の色付きは決して一様ではない。
 
「一足お先に…」と枝から離れていくものもいる。
 
 
 
 「秋なんだ…」
 
 季節を感んじるしっかりしたアンテナが心にできたようだ。
 
 
 
 「季節」に対する心の変化、
 
 
 それは、たしかに歳を重ねたこととの関係もあるだろう…
 
 しかし、変化を生んだもっとも大きな要因は
 
 
 「星くずの村」実験学校に参加してきたことだと思う。
 
 
 この17年間毎年毎月、僕は小豆島の自然のなかに身を置くチャンスを得た。
 
 「星くずの村」には確かに「季節」が息づき、
 
 「季節」から「季節」へのバトンタッチを肌に感ずることができる。
 
 
 こんな環境に居させてもらえた幸運が、
 
 鈍感だった僕の感覚を少しづつ変化させ、
 
 「季節」を感じるアンテナを作らせてくれたのだろう。
 
 
 
 人それぞれにアンテナを向ける方向は違い、拾える電波も異なる。
 
 でも「感動を得るためのアンテナ」は、たとえ小さくても持っている方が幸せだ。

2010/10/07 11:27 | Comments(0) | TrackBack() | 森山's Honey Bucket

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